2025.07.24
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令和7年(2025)7月31日~8月2日 大分、宇佐神宮(うさじんぐう)「夏越大祭」です。

■7月31日~8月2日 大分、宇佐神宮(うさじんぐう)「夏越大祭」です。■

豊前国一之宮「宇佐神宮(うさじんぐう)」は、全国約4万余社の「八幡宮、八幡社(はちまんぐう、はちまんしゃ)」の総本社です。「宇佐八幡」「宇佐八幡宮」とも。1300年前の昔から大分県北部の「宇佐市(うさし)」に鎮座。「八幡さま」は古くから人びとに親しまれてきました。

「八幡さま」は「応神天皇(おうじんてんのう)」の御神霊で、欽明天皇32年(501)初めて宇佐の地に示顕したといわれます。神亀2年(725)「聖武天皇(しょうむてんのう)」の勅願により社殿を建立し、「八幡神(やはたのかみ、はちまんしん)」を祀ったのが宇佐神宮の始まりと伝わります。

御祭神は、

「八幡三神(はちまんさんじん)」
一之御殿――八幡大神(はちまんおおかみ):誉田別尊=応神天皇(ほんだわけのみこと=おうじんてんのう)
二之御殿――比売大神(ひめおおかみ):多岐都姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命(たぎつひめのみこと、いちきしまひめのみこと、たぎりひめのみこと)
三之御殿――神功皇后(じんぐうこうごう):息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)

「宇佐」は、畿内や出雲と同じく、非常に古くからひらけた地でした。二之御殿に祀られている「比売大神」は、「八幡大神」が現れる以前の古い神、「地主神(じぬしのかみ)」として祀られ崇敬されてきました。宇佐神宮の南にそびえる「御許山(おもとさん)」は、神代に「比売大神」が降臨した神域とも、欽明天皇の頃「八幡大神」がはじめて姿を表して降り立った場所とも伝わります。山頂には宇佐神宮の奥宮「大元神社(おおもとじんじゃ)」が鎮座し、3つの巨石を祀っています。

「八幡大神」は、数々の奇瑞を現して「大和朝廷」の守護神とされました。養老4年(720)大隅国(おおすみのくに)で「隼人の反乱(はやとのはんらん)」が起きました。飛鳥・奈良時代、南九州の薩摩(さつま)・大隅地域の人びとは、当時の律令政府により「夷狄(いてき:統治の及ばない未開の地の野蛮な人びと)」とみなされていました。「隼人(はやと)」は、そのなかの阿多・大隅の住人たちです。

「隼人の反乱」が勃発したとき、大和朝廷の軍勢は鎮圧に出発。「八幡大神」は朝廷軍の守護として自ら神輿に乗り出御しました。隼人討伐は成功しましたが、宇佐の地で疫病が流行し、凶作による飢餓に苦しめられ、隼人の怨霊の祟りだと人びとは恐れました。「八幡大神」は、殺生の罪を悔い、仏教に救いを求めました。そして、隼人の御霊を鎮めるために「年ごとに放生会(ほうじょうえ)を修すべし」と告げたと伝わります。これが神と仏が習合した先進的な思想「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」のはじまりとされています。天応元年(781)朝廷は宇佐神宮に鎮護国家・仏教守護の神として「八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)」の神号を贈りました。

「八幡大神=八幡大菩薩」は、王城鎮護(おうじょうちんご)の神として尊ばれ、源氏の氏神となり、やがて武家の守り神として全国に広がり、「八幡信仰(はちまんしんこう)」は日本でもっとも普及した神社信仰になりました。神仏習合の時代は、明治の「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」で終わりましたが、宇佐神宮の神事や祭礼、建造物などには、神道と仏教が習合した信仰と文化の歴史を今も見ることができます。

約50万平方メートルの広大な境内には、イチイガシなどの樹林や蓮池など豊かな自然が広がり、国宝の本殿のほか多くの社殿が点在しています。摂社のひとつ「若宮神社(わかみやじんじゃ)」は、仁壽2年(852)の造営。「若宮五神(仁徳天皇、大葉枝皇子、小葉枝皇子、隼総別皇子、雌鳥皇女)」を祀り、除災難・厄難の神様として有名です。

◆御神幸祭(夏越大祭)

「御神幸祭(ごしんこうさい)」は、古く「御祓会(おはらいえ)」と呼ばれていました。疫病を除き災厄を防ぐとともに、八幡総本宮として国家国民の安寧を祈願するために行なわれます。「夏越大祭」「夏祭」「ごじんじ」などと呼ばれて親しまれています。

上宮でのお祓いの後、本殿より八幡三神の御神体が3基の神輿で境内の頓宮(とんぐう)まで神幸(移動すること)します。3基の神輿が先陣争いをすることから、かつては「喧嘩祭」とも呼ばれていました。

行列は、道案内の「猿田彦(さるたひこ)」を先頭に、蝶・鳥・駒(馬)の美しい衣装の稚児たちが前陣で、一文字笠に裃姿の供廻(ともまわり)と続きます。太鼓や笛を打ち鳴らしながら、300余人がお供をします。

神輿が頓宮に着くと、御神体が仮殿に移され、国家安泰・五穀豊穣・万民息災などを祈念する「菅貫(すがぬき)」という古式の祓え神事が執り行なわれます。菅貫神事では、「解縄串(ときなわぐし)」という独特な道具が用いられます。「解縄串」は、上部の切れ目に紫色の紙飾りと平らな藁が挟まれた木製の棒で、神職はこれを使って自らを清めるなどします。御神体と神輿は、頓宮で3日2夜を過ごし、再び行列をなして上宮本殿に還幸します。

夏越大祭の中日8月1日には、「流鏑馬神事(やぶさめしんじ)」が参道の馬場で斎行されます。

宇佐神宮
◇大分県宇佐市南宇佐2859
◇JR日豊本線「宇佐駅」バス・タクシー約10分
◇公式サイト:http://www.usajinguu.com

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

宇佐神宮の夏越大祭では、古式による伝統の祓い神事が行なわれます。上宮から頓宮への行列はスケールが大きく、衣装や蝶・鳥・駒などの姿はとても優雅で、見る人を古代日本へといざないます。
お出かけの際は日傘や飲料水を忘れず、熱中症にはくれぐれもご注意ください。
皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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