2024.07.16
7月

令和6年(2024)7月23~24日 栃木大田原、大田山光真寺「地蔵尊夏大祭」です。

■7月23~24日 栃木大田原、大田山光真寺「地蔵尊夏大祭」です。■

「大田山光真寺(おおたやまこうしんじ)」は、大田原藩主の大田原氏の菩提寺です。天文14年(1545)大田原備前守資清(すけきよ)公によって創建。資清の兄、麟道(りんどう)和尚が開山第一世です。

大田原資清像(光真寺)

2月と7月の23~24日には例大祭が行われ、夏の大祭では、本堂の西側にある大田原家歴代藩主の墓の前で歴代藩主の墓前祭がしめやかに営まれます。

その際、栃木県指定無形民俗文化財に指定されている「城鍬舞(しろくわまい)」が奉納されます。

城鍬舞とは、鍬を叩いて踊る田植え踊り系統の民俗芸能です。13代資清公の大田原城築城に携わった農民をねぎらう酒宴で、地元の農民藤兵衛(とうべえ)が酔いに乗じて鋤(すき)や鍬(くわ)を持って踊り出したのが起源とされます。

笛や太鼓に合わせて、藤兵衛役の形振(扇取)が「サッサッサァー」とかけ声をかけながらひょうきんに踊り、化粧をした早乙女姿の子どもたちが鉄の棒で鍬を鳴らして盛り上げます。

また、境内では「福原餅つき唄(ふくわらもちつきうた)」が披露され、大臼でつきあがった餅が集まった参拝者に配られます。

福原餅つき唄は、治承4年(1180)、那須十郎為隆(千本為隆)与一宗隆(那須与一)の兄弟二人が源義経の家来となって平家追討の旅に発つ時に、福原の領民が出陣を祝って激励の力餅を大勢で面白く、代わる代わるついて差し上げたのが始まりと伝わります。

那須の与一宗隆公は色白で 男美男で旗頭よ
福原の湯泉林の八重桜 八重に結んで九重に咲く
九重が十二単に咲くならば 湯泉林は花で輝く
姫様に櫛とこうがい頼まれて 七日けづりて八日ほりもの
彫りものは浜に浜松浜千鳥 梅に鶯止まるところを
臼もとに杵が十六揃いたが わしのようなる付き手揃わぬ
ここはどこ ここはお江戸の日本橋 心静かに渡れ友だち
友達がたまに来たのに何もない 天上飛ぶ鳥雁の巻物
巻物をといてのばして酒肴 一つおあがり菊の玉酒

光真寺
◇栃木県大田原市山の手2-11-14
◇東北自動車道「西那須野塩原IC」から車で25分
◆光真寺(大田原市観光協会):https://www.ohtawara.info/spot_detail.html?id=3

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

近年では隣家・地域ぐるみのお付き合いも希薄な時代になってきました。便利さと引き換えに、郷土の文化がだんだんと忘れられていく中で、大田山地蔵尊の祭礼には古くからの伝統が息づいています。
境内の大黒天堂には大黒天が祀られていて、全国から甲子大黒天参拝者が訪れます。
時節柄、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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