■1月3日「福岡 箱崎宮玉せせり」です。■
福岡にある筥崎宮の「玉取祭:たまとりさい」は俗に「玉せせり」といい、全国に知られる奇祭です。起源は定かではありませんが、古く盛大かつ厳重に行われている祭りです。
午後1時、玉洗式で洗い浄められた「陰陽の2つの玉」は、末社・玉取恵比須神社に運ばれます。祭典ののち、陽玉は競り子たちに手渡され「玉せせり」が始まります。
玉に触れると、悪事災難を逃れ幸運を授かるといわれます。裸の競り子たちは「勢い水」を浴び、体から湯気を立て激しい争奪戦を繰り広げながら本宮へ向かいます。楼門下に待つ神職に手渡され、陰陽の2つの玉は再び揃って神前に納まります。
「筥崎宮:はこざきぐう」の祭神は、応神天皇※、神功皇后※、玉依姫命(たまよりひめのみこと=神武天皇の母)※。筥崎宮は筥崎八幡宮※とも称し、宇佐・岩清水両宮とともに日本三大八幡宮※に数えられます。
※応神天皇(おうじんてんのう/仲哀天皇9年-応神天皇41年):第15代天皇(在位:応神天皇元年- 同41年)日本書紀での名は譽田天皇(ほむたのすめらみこと)または誉田別命(ほんだわけのみこと)実在説と非実在説がある。
※神功皇后(しんこうこうごう/成務天皇40年ー神功皇后69年):第14代天皇・仲哀天皇の皇后。日本書紀での名は気長足姫尊(おきながたらしひめ)で仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)崩御(ほうぎょ)から応神天皇即位まで初めての摂政として約70年間君臨したとされる(在位:神功皇后元年ー神功皇后69年 )
※玉依姫命(たまよりひめのみこと):古事記では玉依毘売、玉依毘売命、日本書紀では玉依姫と表記される。神武天皇(初代天皇)の母であり、天皇の祖母である豊玉毘売(とよたまひめ)の妹。名前の意味は「神霊が依り憑く巫女」とされている。
※筥崎八幡宮(はこざきはちまんぐう):福岡県福岡市東区箱崎に鎮座する神社。式内社(名神大社)※、筑前国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。筥崎宮(箱崎宮)の別称。
※日本三大八幡宮:欽明天皇32年(571)に宇佐の地に示顕(あらわれた)した八幡神は、応神天皇(誉田別命/ほんだわけのみこと)の神霊とされる。このような経緯から八幡宮の総本社は宇佐神宮(大分県宇佐市)、石清水八幡宮(京都府八幡市)、筥崎宮(福岡県福岡市)、または鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)が日本三大八幡宮とされる。
※式内社(しきないしゃ):延喜式(えんぎしき)※の巻9・10の延喜式神名帳(じんみょうちょう)に記載された神社。延喜式内社(えんぎしきないしゃ)とも,式社(しきしゃ)ともいう。
※延喜式(えんきしき):格式(律令の施行細則)の一つで、三代格式の一つである。平安時代905年(延喜5年)醍醐天皇の命で藤原時平らが編纂を始め、時平の死後は藤原忠平が編纂に当たった。弘仁式、貞観式とその後の式を取捨編集し、延長5年(927)に完成。その後改訂を重ね、康保4年(967)より施行
※名神大社(みょうじんたいしゃ):律令制下で名神祭の対象となる神々(名神)を祀る神社。古代の社格の1つとされ、全てが大社(官幣大社・国幣大社)に列していることから「名神大社」と呼ばれる。
※名神祭(みょうじんさい):神社のなかでも、年代も古く由緒も正しく、全国的にも霊験(れいげん)・崇敬が顕著で国家から特別の待遇を受けた神社。10世紀初めにまとめられた延喜式(えんぎしき)の制では、名神祭にあずかる神社として224社があげられている。国家の大事に際して奉幣(ほうべい/お供え物)・祈請(きしょう、うけい/加護を願うこと)などが行われた。
筥崎宮(箱崎宮)
◇福岡県福岡東区箱崎1-22-1
◇JR九州「箱崎駅」徒歩8分
◇公式HP:http://www.hakozakigu.or.jp/
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
玉せせりは福岡の筥崎宮で1月3日に執り行われる神事です。Webの写真からは勇壮さがみなぎってきます。
箱崎宮は鎌倉中期、蒙古襲来(元寇)の頃、俗に云う神風が吹き未曾有の国難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。「敵国降伏」の扁額(へんがく)を掲げていることでも有名です。
近年の東日本大震災やコロナ禍は最大の国難といっていいでしょう。元寇のときのように国内の敵味方一致して取り組んでもらいたいものです。
季節の変わり目、また不規則な生活になり易い時期です。今年はインフルエンザワクチン不足しているそう。早めに予防注射、体調管理にくれぐれもご注意を。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白