■1月5日(旧12月6日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
「不成就日」とは、文字どおり「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。
「宣明暦(せんみょうれき)」〔※〕の時代、不成就日は「会津暦(あいづごよみ)」〔※〕で採用されていただけで、「貞享暦(じょうきょうれき)」〔※〕にも記載されていません。
文政13年(1830)に発行された『暦日講訳(れきじつこうしゃく)』〔※〕に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦〔※〕や開運暦〔※〕のほとんどに記載されています。
不成就日の日取りは、節切りではなく、月切り(旧暦の月)で決まります。月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に8日間隔で配当されます。(※旧暦起算のため、1日ずれることがあります)
正月・7月……3・11・19・27日
2月・8月……2・10・18・26日
3月・9月……朔・9・17・25日
4月・10月……4・12・20・28日
5月・11月……5・13・21・29日
6月・12月……6・14・22・晦日
※「宣明暦(せんみょうれき)」
中国暦のひとつで、唐の長慶2年(822)から使用された太陰太陽暦の暦法。正式には「長慶宣明暦(ちょうけいせんみょうれき)」。日本では、貞観4年(862)から貞享元年(1684)まで823年間使用され、貞享2年(1685)に「貞享暦(じょうきょうれき)」に改暦された。
※「会津暦(あいづごよみ)」
会津若松城の鎮守、諏訪神社の神官の賦暦(無償で配る暦)を、隣町の七日町住菊地庄左衛門が売暦(販売する暦)として発行していた。貞享の改暦以前には宣明暦法により独自に編暦、改暦後は幕府天文方からの「写本暦」(頒暦の稿本)に従って製作された。永亨年間(1429~41)から「開板」とあり、東北一円で頒布されていた。
※「貞享暦(じょうきょうれき)」
貞享暦は、渋川春海〔※〕の観測に基づき、中国元代の「授時暦(じゅじれき)」に中国と日本の「里差(経度差)」を補正し、一年の長さが徐々に変化するという消長法を援用して改良した暦法。それまでの「宣明暦」から貞享元年(1684)10月に改暦の宣下があり、暦号を「貞享暦」と賜る。この暦を作成時、春海は、日本最初の日本人による暦として「大和暦(やまとれき)」と称していた。
※渋川春海(しぶかわはるみ/しゅんかい、寛永16年(1639)~正徳5年(1715))
江戸時代前期の天文暦学者、囲碁棋士、神道家。父の死後、襲名して家職(江戸幕府碁方)を継ぎ、2代目算哲と称した。のち保井、さらに渋川と姓を改める。
日本では古来、中国の「宣明暦」を採用していたが、日本人の手になる独自の暦法「貞享暦(じょうきょうれき)」を初めて作った人物として知られる。その功により貞享元年12月(1685年1月)、初の天文方(てんもんかた:江戸幕府によって設置された天体運行および暦の研究機関)となる。冲方丁の『天地明察』は渋川春海の生涯を描く時代小説。滝田洋二郎監督で映画化もされた。
※『暦日講訳(れきじつこうしゃく)』
文政13年(1830)に発行された暦の解釈書籍。
※「伊勢暦(いせごよみ)」
現在の「神宮暦」の前身、江戸時代に伊勢神宮の門前で製作し頒布されていた暦。
※「開運暦(かいうんれき)」
「伊勢暦」を原型として全国に賦暦(無償で配る暦)された。現在の市販の暦のほとんどが「開運暦」の流れを汲む。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
不成就日はあまり重要視されていません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく暦注ではありません。日~土の七曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。それとも経験に基づく暦の法則でしょうか?
筆者敬白