■1月4日「官庁御用始め」「仕事始め」です。■
「御用始め」は、諸官庁で新年初めて執務を始める日を指します。明治6年(1873)に、官庁では12月29日から1月3日までを年末年始の休暇とすることが定められました。御用納めは、土、日、祝日の時には前日とし、御用始めは土、日、祝日の時には翌日として、現在まで続いています。
令和5年(2023)は御用納めは12月28日でした。残務を整理して、机上を片付けて年末の挨拶をして各自帰宅します。そして今年、令和6年(2024)の御用始めは1月4日です。
大東亜戦争以前の宮中では、この日、「政始(まつりごとはじめ)」の儀が行われていました。平安時代以前に行われていた「政始(セイシ)」とも言う行事があったのです。「政始」は正月に宮中で行われた行事で、本来は9日でしたが、正月の御斎会(ごさいえ:正月の神事)が一段落したところで吉日を選び、上卿(しょうけい、じょうけい)が新年初めて政事を議する儀式を行い、これを「政始」と言いました。
鎌倉幕府の「問注所(もんちゅうじょ:現在の裁判所)」は10日、室町幕府では7日に政治始を行いました。
年頭に当たり、伊勢神宮を奏聞(そうぶん:天子に申し上げること。奏上)することを「神宮奏事始(じんぐうそうじはじめ)」と言って正月11日に行いました。4日の「政始」と合わせて、明治3年(1870)から4日に「政始の儀」を行う事になり、首相から神宮のことや各般の政務を奏上していましたが、大東亜戦争以後GHQの命令によって廃止されました。
◆◆仕事始め◆◆
新年初めての仕事のし始めの式・儀礼を行うことです。「仕事始め」は予祝行事(よしゅくぎょうじ:あらかじめ祝うこと。前祝い)の意味を持つとされています。
▼農事で見ると、2日または11日に田畑に鍬を数回入れ、餅や米を供えます。鍬入れ(くわいれ)、鍬立(くわたて)、作始め,打ちぞめなどといいます。また堆肥を田畑に散らしたりする所もあります。
静岡の三嶋大社(みしまたいしゃ)では、年頭に「田祭(たまつり)」という五穀豊穣を祈願する神事が行なわれます。田祭では「お田打(おたうち)」といって狂言の形式で稲作の過程を演じます。
▼山村では、「初山」「山入り」と呼んで、初めて山に入って山の神に供物を供えてから木を切ります。この時、小正月のものつくり用の木を切ります。
▼漁村では、「舟祝」「ノリゾメ」「フナオコシ」などと言って、船に集まり供え物をして、仕事始めの祝いをします。
▼商家では、2日に「初荷」をし、11日には「蔵開き」「鏡開き」として、土蔵を開き、暮れから供えてある「鏡餅」を割って食べる習慣が各地で残っています。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
「官庁御用納め」も「御用始め」も平安時代以前からの宮中の習慣で、暦が社会習慣の基本だったことがわかります。
職業ごとに仕事始めがあり、それぞれ安全祈願や感謝をする神事であることがわかります。終わりのない仕事に区切りをつけて、働けることに感謝する行事は日本独特の習慣で、高い精神性の表れであり、日本の文化であると解釈できます。
どのように時代は変わっても、絶やさないで続けたいものです。
筆者敬白