2022.02.08
2月

令和4年(2022)2月11日 奈良、橿原神宮例祭 です。

■2月11日「奈良、橿原神宮例祭」です。■

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神武天皇の出生は、庚午年1月1日。在位期間は辛酉年1月1日(紀元前660年=弥生時代にあたる)から神武天皇76年3月11日とされます。100歳を越える年齢で、とても一人の人物だったとは思えないほどの期間、業績などから見て、実在の人物ではないとするのが一般的な見解です。
日本神話の一部として理解すべきでしょう。
神武天皇は古事記では「神倭伊波礼琵古命:かんやまといわれひこのみこと」と称され、「日本書紀」では「神日本磐余彦尊:かんやまといわれひこのみこと」、「始馭天下之天皇:はつくにしらすすめらみこと」、「若御毛沼命:わかみけぬのみこと」、「狹野尊:さののみこと」、「彦火火出見:ひこほほでみ」など
と称されます。
「神武天皇」という呼称は、奈良時代後期の文人・淡海三船(おうみのみふね=天智天皇の皇子大友皇子の曽孫)が歴代天皇の漢風諡号を一括撰進したときに付されたとされます。

190204_20.jpg◇紀元2600年奉祝式典◇
神武天皇在位中の皇居があったとされる畝傍山(うねびやま)の東南、橿原の地に「橿原神宮」があります。昭和15年(1940)には、紀元2600年奉祝式典が全国各地の神社で行われ、橿原神宮には昭和天皇も行幸しています。参拝者は年間1000万人ともいわれます。

畝傍山の「畝傍」(うねび)とは、「火がうねる」の意。古代人がこの山を「火山」と認識していた可能性があります。実際に頂上近くの緩い傾斜面は、黒雲母安山岩(火山岩)※で形成され、ざくろ石黒雲母流紋岩の流離構造を示す貫入岩(かんにゅうがん)※も存在します。

 江戸時代以前は、山上に70以上の寺院が存在していました。現代でも曹洞宗慈明寺が畝傍山西麓にあります。寺の傍に「畝火山口神社」※があり、付近には藤原宮跡、飛鳥宮跡など数々の古墳があります。明治に入り、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされる畝傍山の麓に橿原神宮を興し、それまで多武峰(とうのみね=奈良県桜井市)で奉祭してきた神武天皇の「御霊」を移したとされます。
190204_21.jpg◇橿原神宮、紀元祭◇
ここで行われる2月11日「紀元祭」は、宮内庁の勅使も参向して、全国からの参拝者で賑わいます。
 
◇神武天皇崩御◇
古事記には137歳で亡くなり「御陵在畝火山之北方白檮尾上也」御陵は、畝傍山の北の方の白檮(かし)の尾の上にありと記され、日本書紀には127歳で亡くなり「葬畝傍山東北陵」畝傍山の東北陵に葬ると記されています。宮内庁の定めによれば、奈良県橿原市大久保町の山本ミサンザイ古墳が「畝傍山東北陵:うねびのやまのうしとらのすみのみささぎ」です。

神武天皇崩御の4月3日には、宮中や神社で神武天皇祭が毎年行われています。すべての天皇は、皇居宮中三殿のひとつ「皇霊殿」に祀られます。

190204_22.jpg◇「紀元」とは・・・◇
歴史上の年数を数えるときの基準となる最初の年をいいます。日本では明治15年11月15日に、神武天皇即位の年を元年と定めました。これを「皇紀」と呼びます。
西洋ではキリスト降誕の年を元年と定め、今日では世界中でこれを用いています。皇紀元年は「西暦では紀元前660年」です。

※貫入岩(かんにゅうがん):マグマが地表に噴出せず、地殻内部に貫入して生じた岩石の総称。実際には、比較的粗粒な火成岩のことをいうことが多い。

橿原神宮
◇奈良県橿原市久米町934番地
◇近鉄南大阪線・吉野線 橿原神宮前駅すぐ

◇橿原神宮公式HPhttp://www.naranet.co.jp/kashiharajingu/index.html
 
◇ ◇ ◇ 編集後記 ◇ ◇ ◇
120210_30.jpg橿原神宮祭には大音量の街宣車で街中を走られると、楽しい思いをする方はいないでしょう。歴史解釈の違いを主張するのは理解できるのですが、告知方法を考えて欲しいものです。
さぞかし神武天皇もお嘆きのことでしょう。

読者の皆様、寒さの中にも春の気配を感じる時期になりました。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白
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