■2月23~25日 松山、椿神社「椿まつり」です。■

「椿神社」「お椿さん」と愛媛松山市や四国四県で敬愛をこめて呼ばれる「伊豫豆比古命神社(いよずひこのみことじんじゃ)」の創建は非常に古く、2300余年の昔、第7代天皇「孝霊天皇(こうれいてんのう)」の時代(弥生時代)と伝わります。

古代、周囲が海だったことから「つわき神社」(津の脇の神社)と呼ばれていたのが、時を経て「つばき神社」に変化したといいます。また、境内に椿が自生していたことから「椿神社」と呼ばれるようになったという説もあります。
御祭神は、
「伊豫豆比古命(いよずひこのみこと)」
「伊豫豆比売命(いよずひめのみこと)」
「伊与主命(いよぬしのみこと)」
「愛比売命(えひめのみこと)」
の四柱を祀ります。伊豫豆比古命(男神)と伊豫豆比売命(女神)、伊与主命(男神)と愛比売命(女神)は、それぞれ夫婦の神様といわれています。愛比売命は、「愛媛」の県名」〔※〕の由来とされる女神です。
江戸のころは松山藩主「久松氏(ひさまつし)」の篤い崇敬を受け、いまもなお縁起開運、商売繁昌の神として、全国から人びとが参拝に訪れます。
※県名「愛媛」:「えひめ(愛比売)」という名は、『古事記』においては「国生み(くにうみ)」のくだりに登場します。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が交わり、「大八島(おおやしま)」と6つの島々を生み落とします。
そのうちのひとつ「伊予之二名島(いよのふたなのしま)」(四国)は4つの顔を持ち、それぞれに名前がありました。すなわち「伊予国は愛比売と謂ひ、讃岐国は飯依比古と謂ひ、粟国は大宣都比売と謂ひ、土佐国は建依別と謂ふ」と記されています。
この「愛比売」が「愛媛」に転化して、県名として使われるようになったとされています。
◆椿まつり

旧暦1月8日ごろ、椿神社で「椿まつり」が開かれます。江戸時代、祭りのときに商売をする人びとが集まり参道で物々交換をしていました。それが椿の木の下だったことから「椿まつり」と呼ばれるようになったといわれます。「椿まつり」は、神との約束により「立春に近い上弦の月の初期」に催すことを定められた春祭りです。ちょうど旧暦正月8日ごろにあたります。こういったことから人びとに「お椿さん」「お八日(おようか)」と呼ばれ親しまれています。
現在の「椿まつり」は、全長1.5kmの「椿参道」に露店がずらりと並び、3日間の開催期間中に40万人を超えるひとが訪れる大規模なお祭りです。初日、午前0時に大太鼓が打ち鳴らされ、そこから最終日の深夜24時まで、実に72時間、昼夜を徹して祭りが続きます。

商売繁盛、家内安全を願い縁起物の熊手や福箕(ふくみ)などを買い求める参拝客で、松山の街は大いに賑わいます。
特殊神事として「貸銭(かしぜに)神事」「お忍びの渡御(おしのびのとぎょ)」「合せ火(あわせび)」が行なわれます。
「貸銭神事」は、神社から「守り金(20円)」を借り、翌年に倍額にして返すという珍しい神事です。誰でも無条件で借りることができ、一年の間、生業に励み、少しでも多くお返しできるように頑張ると約束するという意味があるといわれます。

中日の夕刻、「お忍びの渡御」が行なわれます。御祭神を神輿に還し、「金刀比羅神社」(北土居町)の「お旅所」まで御神幸を願います。神輿が社殿から参道、楼門へといたるまで、舁き夫たちは神輿を舁き揺するどころか掛け声も発することなく、ひたすら静かに沈黙を守ります。その静粛とした様子から「お忍びの渡御」と称するようになったそうです。
冬の厳しい寒さも峠を越し、物の芽が動き始めるころ。四国各地で、「椿まつり」のあとに田起こしや播種を始める慣習があることから、「伊予路に春を呼ぶ祭り」として大切にされてきました。現在も、地元のひとは「椿まつり」の開催を一年の区切りのように感じるそうです。
伊豫豆比古命神社(いよずひこのみことじんじゃ)
◇愛媛県松山市居相2-2-1
◇伊予鉄バス「椿前停留所」徒歩約10分
◇公式サイト:https://tubaki.or.jp
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
「椿まつり」は松山に春を呼ぶお祭りです。暦の上では二十四節気「立春」から春ということになりますが、実際にはまだまだ寒い日が続いています。季節は徐々に春に向かっていきます。暦の上でも春の行事が増えてきます。
ひと雨ごとに春の気配が濃くなってきました。
読者の皆様、寒暖差が大きく体調を崩しやすい時期です。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白







