■2月21日、西大寺「会陽(えよう)-裸祭り」です。■

高野山真言宗別格本山「西大寺(さいだいじ)」は、通称「千手観世音菩薩」。山号は金陵山、観音院と普門坊円満院が現存します。普門坊円満院は真言律宗の寺院で、本尊は「虚空蔵菩薩」。通称は「普門院」。中国観音霊場第1番札所として知られます。

今から約1200年ほど昔、天平勝宝3年(751)周防国(すおうのくに:現山口県)玖珂庄(くがしょう)に住む「藤原皆足(ふじわらのみなたる)」姫が、観音菩薩の妙縁を感じて「金岡」の郷に「千手観音」を安置したのが西大寺の始まりです。

その後、宝亀8年(777)「安隆上人(あんりゅうしょうにん)」が、大和の長谷寺(はせでら)で修行三昧のころ、「備前金岡庄の観音堂を修築せよ」との夢告がありました。
上人は西国に下向し、海路、金岡の庄に向かいました。途中、備讃瀬戸(びさんせと:岡山県と香川県のあいだの海域)の児島の「槌ノ戸(つちのと、槌ノ門)」にさしかかったとき、「犀角(さいかく)」〔※〕(サイの角)を持った「仙人(龍神)」が現れ「この角を持って観音大師影向(ようごう)の聖地に御堂を移し給え」と霊告されました。「影向」は、神仏がこの世に姿を現すことをいいます。
多々の奇縁にあたり、上人は「犀角を鎮めた聖地」に堂宇を建立、法地開山しました。開山当時の寺号は「犀戴寺(さいだいじ)」。後年、後鳥羽上皇の祈願文から「西大寺」と改称しました。
※犀角(さいかく):犀(さい)の角。古代、生活用品などを作るための工芸の素材に用いられた。魔除けなどのまじないの道具の材料にもなった。解毒効果があるとされ、粉末にして薬用とした。
◆会陽(えよう)

「会陽-裸祭り」は、毎年2月第3土曜日の夜、西大寺観音院の境内で行なわれます。真夜中に御福窓から住職によって投下される2本の「宝木(しんぎ)」をめぐり、数千の裸の群れが争奪戦を繰り広げます。岩手県黒石寺の「蘇民祭(そみんさい)」、大阪市四天王寺「どやどや」と並び「日本三大奇祭」のひとつです。
西大寺創設の際、奈良東大寺の「良弁(ろうべん)」の弟子「実忠(じっちゅう)」が「修正会(しゅしょうえ)」を伝えました。正月に修する法会(新年の大祈祷)は、14日間、十数人の僧侶が斉戒沐浴して、祭壇に「牛玉(ごおう)」を供え、観世音菩薩の秘法を修し、国家安穏、五穀豊穣、萬民繁栄の祈祷を行ないます。

「牛玉(ごおう)」は、仏教世界の「宝珠(ほうじゅ)」を意味し、世の中の万物を生みだすものとされます。杉原や日笠といった「丈夫な紙」に、右から左へ「牛玉・西大寺・宝印」と順に並べて刷られています。
14日間の祈祷を経て満願になると、今年一年の五福「寿・富・康寧・好徳・終年」を授ける意味で、牛玉を信徒の年長者や講頭に授けました。「牛玉西大寺寶印」と書かれたお札を授かると、農家は豊作となり、厄年のひとは厄を免れることができるというので、年々希望者が増えていきました。
室町時代の永正7年(1510)、時の住職「忠阿(ちゅうあ)」のころ、やむなく参詣者の頭上に投与したところ奪い合いになってちぎれてしまったため、牛玉の紙を「宝木(しんぎ)」に替えたとされます。
境内に集った裸群は、まず冷水に入って身体を清め、斉戒沐浴し、福を授かるように祈願します。宝木の争奪戦は非常に激しく、「渦(うず)」と呼ばれ、参加者たちは本堂から境内へ数組に分かれて揉み合います。宝木の取主は「福男」と呼ばれます。

金陵山西大寺(観音院)
◇岡山市東区西大寺中3-8-8
◇JR赤穂線「西大寺駅」徒歩10分
◇両備バス「西大寺バスセンター」徒歩10分
◇公式サイト:https://www.saidaiji.jp
◆「会陽-裸祭り」(西大寺公式サイト):https://www.saidaiji.jp/eyou/
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

競い争って宝木を確保する神事は新奇かつ大迫力で、見物の人びとまでも興奮し胸が高鳴ります。争い合っても最後には福で終わる神事です。
非常に残念なことに、日本三大奇祭のひとつ「蘇民祭」が、関係者の高齢化や担い手不足により、令和6年(2024)の開催をもって終了しました。伝統を守り続けることの困難さをあらためて痛感します。
春への季節の変わり目です。
読者の皆様、体調を崩さないようご自愛専一の程
筆者敬白







