2024.02.13
2月

令和6年(2024)2月17日、日本三大奇祭 岡山、西大寺「会陽(えよう)-裸祭り」です。

■2月17日、日本三大奇祭 岡山、西大寺「会陽(えよう)-裸祭り」です。■

高野山真言宗別格本山「西大寺(さいだいじ)」は、通称「観音院」で、本尊は「千手観世音菩薩」。山号は金陵山、観音院と普門坊円満院が現存します。普門坊円満院は真言律宗の寺院で、本尊は「虚空蔵菩薩」。通称は「普門院」。中国観音霊場第1番札所として知られます。

今から約1200年ほど昔、天平勝宝3年(751)周防の国(山口県)玖珂庄に住む藤原皆足(ふじわらのみなたる)姫が、観音菩薩の妙縁を感じて金岡の郷に「千手観音」を安置したのが始まりです。

その後、宝亀8年(777)「安隆上人(あんりゅうしょうにん)」が、大和の長谷寺で修行三昧の時、「備前金岡庄の観音堂を修築せよ」との夢告から西国に下向し、海路を金岡の庄に向かいました。途中、児島の槌戸ノ浦に差し掛かったとき、犀角(さいかく=サイの角)を持った「仙人(龍神)」が現れ「この角を持って観音大師影向の聖地に御堂を移し給え」と霊告されました。

多々の奇縁に上人は「犀角を鎮めた聖地」に堂宇を建立、法地開山されたのが起源。このとき、寺号を「犀戴寺(さいだいじ)」と称しましたが、後年、後鳥羽上皇の祈願文から「西大寺」と改称しました。

「会陽(えよう)-裸祭り」は、毎年2月第3土曜日の夜、西大寺観音院の境内で行われます。真夜中に御福窓から住職によって投下される2本の「宝木(しんぎ)」をめぐり、数千の裸の群れが争奪戦を繰り広げます。岩手県黒石寺の「蘇民祭」、大阪市四天王寺「どやどや」と並び「日本三大奇祭」のひとつです。

西大寺創設の時に、奈良東大寺の良弁僧正の弟子実忠上人「修正会(しゅしょうえ)」を伝えました。正月に修する法会(新年の大祈祷)は、14日間、十数人の僧侶が斉戒沐浴して、祭壇に「牛玉(ごおう)」を供え、観世音菩薩の秘法を修し、国家安穏、五穀豊穣、萬民繁栄の祈祷を行います。

「牛玉(ごおう)」は、杉原や日笠という「丈夫な紙」に、右から左へ「牛玉・西大寺・宝印」と順に並べて刷ったもの。14日間の祈祷を経て満願になると、今年一年の五福「寿・富・康寧・好徳・終年」を授ける意味で、牛玉を信徒の年長者や講頭に授けました。

牛玉とは、仏教世界の「宝珠(ほうじゅ)」を意味し、世の中の万物を生みだす物とされます。牛玉の語源や字体には諸説あるものの、一般には、牛の胆のうに生じた結石を牛黄(ごおう)と呼び、これを溶いて墨書するところから牛王(ごおう)と記したといいます。

「牛玉西大寺寶印」と書かれたお札を授かった人は、農家は豊作となり、厄年の人は厄を免れることが出来たというので、年々希望者が増え、室町時代の永正7年(1510)、時の住職・忠阿上人(ちゅうあしょうにん)のころ、やむなく参詣者の頭上に投与したところ奪い合いになってちぎれてしまったため、牛玉の紙を「宝木(しんぎ)」に替えたとされます。

境内に集った裸群は、宝木の争奪戦前に必ず冷水に入り身体を清め、斉戒沐浴して福が授かるように祈願します。激しい争奪戦は「渦」と言われ、本堂から境内へ数組に分かれて揉み合います。
宝木は取主により会陽奉賛会へ仮納めの後、寺より検分に行きあらためられ、祝主へ納められます。宝木の取主は「福男」と呼ばれます。

金陵山西大寺(観音院)
◇岡山市東区西大寺中3-8-8
◇JR赤穂線「西大寺駅」徒歩10分
◇両備バス「西大寺バスセンター」徒歩10分
◇公式サイト:https://www.saidaiji.jp
◆「会陽-裸祭り」(西大寺公式サイト):https://www.saidaiji.jp/eyou/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

競い争って宝木を確保する神事は迫力があり、見物している観客も興奮し胸が高鳴ります。競っていても最後には福で終わる神事で、豊作・厄落し・招福を祈念して終わります。
春への季節の変わり目です。
読者の皆様、体調を崩さないようご自愛専一の程
筆者敬白

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