■2月11日「建国記念の日」「旧紀元節」です。■
令和6年は2684回目の紀元節で皇紀2684年です。
「建国記念の日」は、国民の祝日のひとつで、「建国をしのび、国を愛する心を養う」を法定の趣旨とし、昭和41年(1966)に制定されました。かつて、戦前この日は「紀元節(きげんせつ)」という祝日でした。『日本書紀』で神武天皇即位の日とする皇紀元年「辛酉年春正月庚辰朔」(紀元前660年正月1日)が、新暦(太陽暦)2月11日にあたるとして、明治5年(1873)に制定されました。
大東亜戦争敗戦後「紀元節」は暦からなくなります。GHQによって押し付けられた日本国憲法の精神にそぐわないといった理由からでした。しかし、昭和26年頃から復活の動きが起こり、昭和41年に「敬老の日」と「体育の日」とともに、国民の祝日に追加されました。
「建国記念日」ではなく「建国記念の日」なのは、史実に基づく建国の日とは関係なく、建国されたという事象そのものを記念する日という考えによるものです。2月11日という日取りの根拠が曖昧であるため、様々な主張があります。
しかし、この日は「大日本帝国憲法の発布」や「金鵄勲章(きんしくんしょう)」の制定などが行われており、大正15年(1926)からは「在郷軍人」などの建国祭の祝賀行事が行われるなど、日本における軍国主義の高揚に大きな役割を果たした日でもあり、重要視されていたようです。
世界最古にして最長の王家「天皇家」。神武天皇は初代天皇で、名前は「神日本磐余彦天皇(かんやまといわれびこのすめらみこと)」。「九州日向国(現在の宮崎県)から東征し、瀬戸内海を通って難波(現在の大阪市)に上陸、熊野から吉野を経て大和を平定し、大和の橿原宮に於いて即位された」と『日本書紀』などに説明されています。
◇紀元二千六百年頌歌◇
~紀元二千六百年奉祝会の歌~
(作詞・作曲 東京音楽学校)
一、
遠すめろぎの かしこくも
はじめたまひし おほ大和(やまと)
天(あま)つ日嗣(ひつぎ)の つぎつぎに
御代(みよ)しろしめす たふとさよ
仰げば 遠し 皇国の
紀元は 二千 六百年
二、
あを人民に い照る日の
光あまねき おほ八洲(やしま)
春のさかりを さく花の
薫(にほ)ふがごとき ゆたかさよ
仰げば 遠し 皇国の
紀元は 二千 六百年
三、
大わたつみの 八潮路(やしおぢ)の
めぐり行きあふ 八紘(あめのした)
ひじりのみ業(わざ) うけもちて
宇(いへ)とおほはん かしこさよ
仰げば 遠し 皇国の
紀元は 二千 六百年
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
大東亜戦争での敗戦を経験した日本では、それまでの歴史に戦争原因があるからと、祝日の呼び方を変えたりしても、記念日の内容や意味が変わるものではありません。
大和民族の末裔である私達日本人は、自国の伝統ある歴史を知って史実を客観視することで、自国の歴史や近隣の国は声高に歴史の主張で、何が正しいか判断する豊かさをもちたいものです。
そうはいっても、仕事が休める休日が増えることが嬉しい!と思うのが庶民というもの。歴史の事実より、まずは会社を休める休日。休日の意味はその後でゆっくり休んでからーーといったところでしょう。
世の中が平和な証しです。
筆者敬白