2021.12.06
12月
民俗行事・国民儀礼

令和3年(2021)12月9日 皇后誕生日 旧地久節 です。

■12月9日「皇后誕生日」「旧地久節」です。■

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日本国の今上天皇の皇后・雅子妃殿下(まさこひでんか、1963年(昭和38年)12月9日生)は、日本国の第126代天皇・徳仁陛下の皇后(在位:2019年〈令和元年〉5月1日~)皇族。お印はハマナス。敬称は陛下。勲等は勲一等宝冠章。旧名は小和田 雅子(おわだ まさこ)。小和田恆・小和田優美子の第1女子。皇女子に敬宮・愛子内親王がいます。元外務省職員。
住居は、東京都港区元赤坂の赤坂御用地内にある赤坂御所。

◇皇太子徳仁親王との婚約
201205_1.jpg1986年(昭和61年)10月18日に来日したスペイン国王カルロス1世の長女、エレナ王女の歓迎レセプションに出席した時に、徳仁親王(今上天皇陛下)と知り合いました。このパーティーは小和田条約局長令嬢として参加したにすぎなかった。同年11月に寛仁親王が名誉総裁を務めていた日英協会主催のパーティーで顔合わせをしました。同年12月に、東宮御所で催された内輪の茶会(年越し会)に一家で招かれる。出席者は外務省関係者やハーバード大学教授・広中平祐同夫人など学者家族と、皇太子明仁親王と同妃美智子、皇孫徳仁親王(いずれも当時)を囲み約2時間歓談した。

1987年(昭和62年)4月上旬、日英協会のパーティーで徳仁親王と再会する。4月下旬、高円宮家の宮務官から電話で招待され、赤坂御用地高円宮邸の茶会に雅子ほか数名のお妃候補が招かれた。高円宮同妃と徳仁親王と歓談、夕食を共にした。同年10月24日、東宮御所で夜の茶会が催され、徳仁親王、徳仁親王の学友で旧皇族・賀陽宮家の賀陽正憲と3時間ほど歓談した。同年12月9日、24歳の誕生日に皇太子からの花束が東宮事務官を通じて小和田邸に届けられる。

 

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1991年(平成3年)9月、東京芸術劇場で開かれた中村紘子のチャリティーコンサートの打ち上げの席に、高円宮家が雅子と母の優美子を招待する。1992年(平成4年)8月16日、すでに皇太子になっていた徳仁親王と柳谷謙介宅にて5年ぶりに再会する。
平成5年の誕生日記者会見で、「警備なしという極めて無防備な状態ではあったわけですけれども、それをする価値は十分にあったという、このことに関してはそういうふうに思っています」と述べている。「鴨場でのデート」も話題になった。
柳谷が再説得に乗り出すとともに、皇太子徳仁親王から電話での説得が行われ、11月中旬、悩みから外務省を体調不良で10日ほど休む。
同年10月20日には、「(雅子の)気持ちが決まらない」という趣旨で小和田家サイドから断りの返事がされるが、同年12月12日に皇太子徳仁親王からの求婚を受諾している。
その他の最も有力といわれた妃の候補には旧皇族で久邇邦昭の長女がおり、前年には久邇家も当人も了承し内定寸前まで話が進んだが、皇太子殿下自身が小和田雅子さんへの思いを捨てきれず結局は破談となった。




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戦前は皇后誕生日を「地久節」と呼び、皇后陛下の誕生日を祝う日でした。一部の女子校などでは、休日にして祝われていたようです。昭和23年(1948)に、地久節は皇后誕生日に改称されました。

祝日や記念日の呼び方ひとつで、歴史や社会背景を深く感じます。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

平成天皇の退位によって、平成皇后陛下は上皇后陛下になりました。
令和の時代になって今上天皇の愛子内親王が、令和3年12月の誕生日で20歳になりました。時の流れは速いものです。
紐解いてみると美智子上皇后、雅子皇后、愛子内親王ともに12月が誕生月になります。
12月上旬で木枯らしの吹く11月はすぐそばです。年末や歳末と言っていい気絶になりました。体調管理の難しい時期です。コロナにインフルエンザ、お風邪などお召しにならないよう、お体ご自愛専一の程 
筆者敬白

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