■12月14日「東京高輪、泉岳寺義士祭」です。■
「泉岳寺:せんがくじ」は、曹洞宗の寺院で江戸三箇寺※のうちの一つ。慶長17年(1612)門庵宗関和尚(もんなんそうかんおしょう=今川義元の孫)※を拝請して徳川家康が外桜田(現ホテルオークラの近辺)に創立した寺院です。
寛永18年(1641)寛永の大火によって焼失。時の将軍・家光が、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷・今川の六大名に命じ現在の高輪の地に再建されました。
浅野家と泉岳寺の付き合いはこの時以来のもので、赤穂義士の墓があることで有名。本所松坂町の吉良邸へ討ち入った12月14日を記念して全国各地で「義士祭」が行われ、盛大な法要が執り行われます。
泉岳寺義士祭(冬)午前11時「墓前供養」浅野長矩公之墓所。午前12時「献茶式」東阿部流献茶式(本堂)引き続き義士追善供養(本堂)※本堂の行持は一般非公開。
今から約300年前に起きた一大事件「赤穂義士たちによる討ち入り」は、主君・浅野内匠頭の無念を晴らす為に1年9ヶ月もの歳月が費やされました。見事に本懐を遂げた英雄達の忠誠心は、当時から伝え語られ今もなお国民的ロマンとして講談などで受け継がれています。年末になると「忠臣蔵」がTVの時代劇の主役です。
町内では「義士パレード」が行われます。殺陣、義士娘輿道中、当時の赤穂藩主の参勤交代を偲ばせる大名行列。殿中刃傷の場や討ち入りの場など、忠臣蔵の名場面を演じる山車、四十七義士に扮し意気揚々と泉岳寺へと向かう義士行列へと続き、沿道を埋める観客を「赤穂浪士討ち入り」へと誘います。
※門庵宗関和尚(1546~1621 もんなんそうかんおしょう):門庵宗関和尚を迎えて開山、永平寺の道元禅師によって開かれた曹洞宗の第4代瑩山禅師開創の総持寺の門派である太平山大中寺(栃木県)の11世建室宗寅和尚(義元の実弟)の高弟で今川義元の孫。ときの将軍が度々江戸城に登城を請われ法問を聴取されたと伝わる。
※江戸三箇時(えどさんかじ):總泉寺(東京都台東区橋場:現在地は板橋区小豆沢)青松寺(港区愛宕)泉岳寺(港区高輪)江戸時代に関三刹※の配下として江戸府内の曹洞宗の寺院を司った3箇所の寺院。江戸僧録、江戸触頭(ふれがしら)とも
※関三刹(かんさんさつ):江戸時代に関東における曹洞宗の宗政を司った3箇所の寺院のこと
泉岳寺
◇東京都港区高輪2-11-1
◇地下鉄都営浅草線・京浜急行電鉄「泉岳寺駅」徒歩3分
公式HP:http://www.sengakuji.or.jp/
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
山手線品川駅から約0.9 kmに新駅を建設し、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催にあわせて暫定開業させると発表した。令和2年(2020)新駅がオープンしました。駅名は高輪ゲートウェイ駅です。泉岳寺義士祭が高輪ゲートウェイ駅のシンボルになる日も近いことでしょう。
毎年12月になると、忠臣蔵、赤穂浪士が話題になります。年配者の中には忠臣蔵といえば雪をイメージされる方もいらっしゃるでしょう。近年は歴史ファンが増え、女性の武将マニアが泉岳寺の赤穂浪士碑や義士祭に訪れるようになりました。
当時では徳川の御政道、現代では自民党政権で機密保持法の強行採決など、満足しない輩はいつの時代もいるものです。赤穂浪士のような従順な部下を、自ら死に追いやるような社会には、なって欲しくないものです。
12月に入り木枯らしも吹き、日没後は冷え込みを感じます。コロナの流行の兆しを報道だ目に付きます。体調を崩しやすい季節です。
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白