■12月9日「漱石忌」です。■
「夏目漱石」は、慶応3年(1867)江戸牛込馬場下横町の町方名主、夏目小兵衛直克の末子として生まれました。母は子沢山の上に高齢で出産したので恥じたとか。漱石は望まれない子として生まれ、幼くして養子に出されます。
本名「金之助」と名付けられたのは、漱石の生まれた日が「庚申」に当り、庚申の日に生れた子供は大泥棒になるといわれ、それを避ける為に名前に「金」の字をつけました。
明治22年(1889)大学の同窓・正岡子規との出会いにより俳句を学びます。帝国大学英文科卒業後、松山中学校、熊本第五高等学校などの教師を務めた後、英国へ留学。帰国後、東大講師を勤めながら「吾輩は猫である」を執筆し、子規門下の会「山会」で発表し好評を博します。
翌年、雑誌「ホトトギス」に読み切りとして掲載。これが評判で「倫敦塔」「坊ちゃん」などの作品を発表。人気作家としての地位を固めます。以後、朝日新聞に「虞美人草」「三四郎」「それから」「門」「彼岸過迄」「行人」「こゝろ」「道草」「明暗」などを連載。
大正5年(1916)12月9日胃潰瘍のため死去。「明暗」の執筆中でした。享年50歳。最期の言葉は寝間着の胸をはだけながら叫んだ「ここにみずをかけてくれ!死ぬと困るから!」であったといいます。
漱石の遺体は解剖され、摘出された脳は現在もアルコールに漬けられた状態で東京大学医学部に保管されています。重さは1425g。戒名は「文献院古道漱石居士」。墓所は東京都豊島区南池袋の雑司ヶ谷霊園(ぞうしがやれいえん)です。
雑司ヶ谷霊園
◇豊島区南池袋4-25-1
◇JR「池袋駅」東口徒歩約20分
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
雑司ヶ谷霊園では、ジョン万次郎、小泉八雲、島村抱月、竹久夢二、泉鏡花、東條英機、永井荷風、サトウハチロー、東郷青児、大川橋蔵など著名人が眠ります。また、漱石「こゝろ」の舞台にもなっています。