■12月25日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
「一粒万倍日」は「いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。
「宣明暦(せんみょうれき)」〔※〕時代には「万倍」と記載されていました。また、「貞享の改暦」〔※〕のあとには暦注から外されていましたが、新暦(現在使用している「太陽暦」)〔※〕普及後には民間で作成された暦に記載されるようになりました。
「一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。ただし、人に借金したり、物を借りたりすると、のちのち苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済し切れないと考えたのでしょう。
一粒万倍日の日取りは、節切り(せつぎり:節月を用いる撰日法)で決められます。
正月……丑と午の日
2月……酉と寅の日
3月……子と卯の日
4月……卯と辰の日
5月……巳と午の日
6月……酉と午の日
7月……子と未の日
8月……卯と申の日
9月……酉と午の日
10月……酉と戌の日
11月……亥と子の日
12月……卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日:天赦・甲子・初子・己巳・朔・望など)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するとされています。
現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が意外に多いことがわかります。不成就日に対する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。
※宣明暦(せんみょうれき)
中国暦のひとつで、唐の長慶2年(822)から使用された太陰太陽暦の暦法。正式には、長慶宣明暦(ちょうけいせんみょうれき)。日本では、貞観4年(862)~貞享元年(1684)まで、823年間使用され、貞享2年(1685)に貞享暦(じょうきょうれき)に改暦された。
※貞享の改暦(じょうきょうのかいれき)
平安時代の貞観4年(862)から中国の宣明暦(せんみょうれき)をもとに毎年の暦を作成してが、800年以上もの長い間同じ暦法を使っていたため、実態と合わなくなってきていた。貞享2年(1685)、渋川春海〔※〕によって初めて日本人による暦法が作られ、宣明暦から貞享暦に改暦された。以降、「宝暦の改暦」(1755)、「寛政の改暦」(1798)、「天保の改暦」(1844)の合計4回の改暦が行われた。
※渋川春海(しぶかわはるみ/しゅんかい、寛永16年(1639)~正徳5年(1715))
江戸時代前期の天文暦学者、囲碁棋士、神道家。父の死後、襲名して家職を継ぎ、2代目算哲と称した。のち保井、さらに渋川と姓を改める。日本では古来、中国の宣明暦を採用していたが、日本人の手になる独自の暦法「貞享暦(じょうきょうれき)」を初めて作った人物として著名。その功により貞享元年12月(1685年1月)、初の天文方となる。冲方丁の『天地明察』は渋川春海の生涯を描く時代小説。のちに滝田洋二郎監督で映画化もされた。
※太陽暦(たいようれき)
地球が太陽の周りを回る周期(太陽年)を基にして、1年の日数を1太陽年に近似させる暦法。 現在、世界の多くの地域で使用されているグレゴリオ暦やユリウス暦は太陽暦の1種である。日本は明治6年(1873)から導入。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
何かにつけて、いいことが重なる日です。特に天赦日や甲子・事始め・朔・望などと重なると更に日がよくなります。この日は建前、決断、契約、旅立ちのほかに手習い、開店、事始めには最適の日です。
一部の金融機関では「本日万倍日」と預金の促進に暦が利用されいます。宵越しの銭は持たないと囃し立てた江戸っ子も、明日の蓄えにと両替商を活用したと記録があります。
今も昔も暦や占いなどの卦は、人の気持ちを動かします。根拠はともかく暦に従ってみるのも心の余裕というものです。ただし、博打やかけ事には作用しないという風説もありますからご用心!
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白