2024.12.08
12月

令和6年(2024)12月15~18日 奈良、春日大社「春日若宮おん祭(かすがわかみやおんまつり)」です。

■12月15~18日 奈良、春日大社「春日若宮おん祭(かすがわかみやおんまつり)」です。■

春日大社(かすがたいしゃ)の摂社「若宮(わかみや)」の御祭神は、大宮(本社)の第三殿「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」〔※〕と第四殿「比売神(ひめがみ)」〔※〕の御子神である「天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)」〔※〕です。平安時代に御出現され「水徳の神」と仰がれました。

長承年間(1132~1135)〔※〕大雨洪水により飢饉が相次ぎ、疫病が蔓延し、時の関白・藤原忠通公〔※〕万民救済のため若宮の御霊威にすがり、保延元年(1135)旧暦2月27日、大宮(本社)と同規模の壮麗な神殿を造営しました。

翌年旧暦9月17日、若宮の御神助を願って春日野に御神霊をお迎えし、祭礼を奉仕したのが「おん祭」の始まりです。長雨洪水も治まり晴天が続いたので、以後880年余にわたって五穀豊穣・万民安楽を祈り、盛大に執り行なわれています。

おん祭は、奈良の年中行事で最も大規模なものとして有名で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。見所は神霊の渡御式です。一般的に、ご神霊が多くの供奉(くぶ)を従えてお旅所の行宮(あんぐう)へ遷られることを「お渡り」といいますが、春日大社の「おん祭」の場合は、すでに行宮へ遷られた若宮神のもとへ芸能集団や祭礼に加わる人々が社参する行列のことを「お渡り」といいます。装束姿の春日の使いを先頭に、巫女・細男(せいのお)・田楽法師・競馬騎士・大名行列などが市中を練り歩きます。御旅所には篝火(かがりび)が焚かれ、古典芸能が深夜まで奉納されます。

‎※天児屋根命(あめのこやねのみこと):‎‎天岩戸神話で活躍。「天孫降臨」〔※〕にて瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に随伴し、祭祀をつかさどった中臣氏の祖神。天岩戸神話では祝詞をあげ天照大御神がお出ましになったと伝わる。‎

※天孫降臨(てんそんこうりん):‎‎天孫(天照大御神の孫のこと)の瓊瓊杵尊が、高皇産霊尊(たかみむすび/別天津神・造化三神のうちの1柱)の意向と天照大御神の神勅(しんちょく)を受けて葦原中津国(あしはらのなかつくに)を治めるため、高天原(たかまがはら、たかまのはら)から日向の高千穂の地へあまくだったこと。
瓊瓊杵尊は天照大御神から授かった「三種の神器」〔※〕をたずさえ、天児屋根命などの神々を連れて、高天原から地上へと向かった。途中、猿田彦神(さるたひこのかみ)〔※〕が道案内をした。記紀(『古事記』と『日本書紀』)にある日本神話。

※三種の神器(みくさのかむだから、さんしゅのしんき(じんぎ、しんぎ)):三つの宝物。天孫降臨の時に、瓊瓊杵尊が天照大御神から授けられたという鏡・玉・剣のこと。
◇八咫鏡(やたのかがみ)
◇八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
◇草那芸之大刀(くさなぎのたち)

 

※猿田彦神(さるたひこのかみ):瓊瓊杵尊が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた:道がいくつもに分かれている所)に立って高天原から葦原中津国までを照らす神がいた。その神の鼻の長さは七咫(ななあた)背(そびら)の長さは七尺(ななさか)目が八咫鏡のように、また赤酸醤(あかかがち:「ほおずき」の古名)のように照り輝いているという姿だった。
そこで天照大御神と高皇産霊尊は天鈿女命(あめのうずめのみこと)に、誰であるか行って尋ねるよう命じた。その神は国津神(くにつかみ:地(葦原中津国)に現れた神)の猿田彦神で、瓊瓊杵尊らの先導をしようと迎えに来たと話した。瓊瓊杵尊らが無事に葦原中津国に着くと、瓊瓊杵尊は、天鈿女命にその名を明らかにしたのだから猿田彦神を送り届けて仕えるようにと言った。そこで天鈿女命は「猿女君(さるめのきみ)」と呼ばれるようになった伝わる。猿田彦神は故郷である伊勢国の五十鈴川の川上へ帰ったとある。

※比売神(ひめがみ):女性神(めがみ)のこと。ここでは天押雲根命の母親とされている。

※天押雲根命(あめのおしくもねのみこと):瓊瓊杵尊の御宇の神(天空が地上を覆うの意)であるとされる。天孫降臨のとき地上には未熟で荒い水(命を育まない水のこと)しか存在せず、天押雲根命が高天原より天津水(あまつみず)〔※〕を持ち還り、この水を皇孫に奉ったとされる。伝承では天牟羅雲命の神名で登場している。別名を天押雲命、天村雲命(あめのむらくものみこと)、天二上命(あめのふたかみのみこと)、後小橋命(のちおばせのみこと)と伝わる。

※天津水(あまつみず):天忍石長井水(あめのおしはのながヰのみず)。高天原の天照大御神が持っている水の種のこと。

※長承年間(ちょうしょうねんかん):1132~1135。天承の後、保延の前までの期間。この時代の天皇は崇徳天皇。鴨長明が『方丈記』のなかで長承年間に起きた「養和の飢饉」について詳細に記している。

※藤原忠通(ふじわらのただみち):永長2年-長寛2年(1097-1164)。平安時代後期の公卿、歌人。藤原忠実(ただざね)の長男。母は源顕房(みなもとのあきふさ)の娘・師子。

春日大社
◇奈良県奈良市春日野町160
◇バス「春日大社本殿」下車、または「春日大社表参道」徒歩10分
◇公式サイト:https://www.kasugataisha.or.jp
◆「春日若宮おん祭」(春日若宮おん祭保存会事務局):https://onmatsuri.kasugataisha.or.jp

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