■8月7~13日天下の奇祭「下関 忌宮数方庭祭」です。■
長門の國二ノ宮「忌宮神社:いみやじんじゃ」は、仲哀天皇・神功皇后・応神天皇を祀り、「豊浦宮」「忌宮」「豊明宮」と三殿別立の式内社では古社で旧社格は国幣小社。
「忌宮神社」は、第14代仲哀天皇が九州の豪族「熊襲」ご平定のために西下、穴門(長門)豊浦宮を興して仲哀天皇2年(193)仲哀天皇が豪族熊襲を鎮圧し平定の折り、7年間滞在した旧趾です。
仲哀天皇はさらに筑紫(福岡県)の香椎に進出しましたが、1年で崩御せられたので、時の神功皇后は天皇の喪を秘して、豊浦宮の重臣武内宿禰に御遺骸を奉じました。現在の長府侍町土肥山に仮埋葬しました。
そして皇后はご懐妊中ながら、熊襲を後ろで煽動していた「新羅」征討をご決行みごとご凱旋しました。社伝には、天照大神と住吉三神による託宣を疑ったため筑紫の香椎で亡くなった仲哀天皇を、神功皇后自らが三韓征伐からの帰途に、豊浦宮の跡に祀ったことが始まりとあります。
「数方庭祭:すほうていまつり」は、仲哀天皇6年(197)朝鮮半島より攻めてきた敵の塵輪を、仲哀天皇自ら弓を取って討ち倒し、戦勝を祝って塵輪の屍の周りで踊りまわったことから始まったと伝わります。毎年8月7日から1週間行なわれます。「天下の奇祭」と呼ばれています。
数方庭祭は、山口県無形民族文化財として広く知られております。期間中は、毎夜長府の七時より九時半頃まで、数方庭の神事が行われます。太鼓の音に合わせ気勢を上げた後、幟、切籠(きりこ)が加わり中心の鬼石を廻って、「チャンコホイホイドンパッパッ」のリズムも軽やかに、初めは優雅に次第に勇壮に盛り上がっていきます。
お囃子『旗ささげ我も踊らん若かれば 神の御庭に昔しのびて』
とあるように、時間が経つと老若男女が心をはずませ、天下の奇祭・数方庭は興奮のるつぼの中に入っていくのです。
忌宮神社
◇山口県下関市長府宮の内1-18
◇城下町:長府バス停より徒歩5分
◇公式Web:http://www.iminomiya-jinjya.com/
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
忌宮数方庭祭は天下の奇祭とあります。その発祥がとてもユニークです。
仲哀天皇(『古事記』『日本書紀』に記される第14代天皇)自らが弓矢を取って塵輪(新羅)を討ち、熊襲(地方豪族)を撃退しました。
その時の戦勝を祝い、塵輪の屍体を囲んで踊ったのが「数方庭祭」の起源と伝わります。
今年は例年になく熱帯夜、真夏日が続いています。お出かけの際には、暑さ対策を忘れずになさってください。
皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白