■8月27日(旧8月1日)「旧八朔(はっさく)」です。■
「八朔:はっさく」とは、旧暦8月1日のことで、「八」は「8月」、「朔」は「ついたち」の意。
農家では、その年に取り入れた新しい稲などを、主家や恩人、知人に贈る風習がありました。のちに町家でも流行し、この日に上下貴賎それぞれ贈り物をするようになりました。
「田実の祝い:たのみのいわい」「田の実の節句」ともいい、田の実とは稲の実りのことを意味し、これを祝うことから起こったといわれています。もともとは神への供物でしたが、「田の実」に「頼み」をかけて、頼み合っている人に恩を感謝するのだとか。
鎌倉後期より武家社会にもこの風習が取り入れられ、江戸時代には徳川家康の江戸城入城が「天正18年8月朔日」だったことから、幕府の重要な式日となり、正月に次ぐ祝日とされ、特に重んじていました。
明治改暦後は、新暦8月1日または月遅れ9月1日になりました。平成24年9月16日は旧暦の8月1日で「八朔」です。
農家では「八朔の苦餅」や「八朔の泣きまんじゅう」といって、ぼたもちを食して祝いました。この日以降、下男下女の夜なべが始まり、辛い日々が待ち受けていました。
江戸の遊里吉原では、この日は紋日となっていて、遊女達は白無垢の小袖を着て客席に出たり、おいらん道中を行ったりしました。京都祇園では芸妓や舞妓が盛装し、お師匠さんや出入りの茶屋などへ挨拶に回ります。
また「八朔」は、8月1日頃に吹く強い風のこともいい、農家にとって二百十日・二百二十日とともに「厄日」(三大厄日)として、収穫前の稲の大敵として恐れられていました。
因みに、みかんの一品種「八朔・はっさく」は、1860年頃、広島県の寺の境内で偶然に発見された品種で、当時の住職が「八朔には食べられる」と言ったことから、八朔という名前がつきました。
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
旧暦の8月1日が八朔(はっさく)です。
この時期は風が強く台風の上陸が多い頃とされています。
暦の上では二百十日~二百二十日~八朔の時期が台風の時期です。
季節の便りを書いていると旧暦のほうが自然環境に適合しているのがわかります。
皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白