■8月26日「富士、吉田の火祭、すすき祭り」です。■
「吉田の火祭り」は、富士山の山仕舞いを告げる祭りです。「北口本宮富士浅間神社」と、境内の「諏訪神社」に於いて毎年8月26、27日に行われる火伏せ祭り「鎮火大祭」のことで、富士山の噴火が止んだことを祝ったのが始まりです。
火を焚いて火を鎮める祭りは、浅間神社の御祭神「木花開耶姫:このはなさくやひめ」が猛火の中で御安産なされたという故事に由来します。
静岡県島田の「帯祭り」、愛知県国府宮の「裸祭り」と並んで「日本三奇祭」の一つに数えられています。
26日午後、浅間大神と諏訪明神の大神輿二基と御影(富士山の形をした神輿)は、参拝者で賑わう氏子中に神幸し御旅所に移されます。御旅所には三基の松明が用意され、近所の家々にも一つずつ松明が設けられます。
夜になって御旅所の松明に火が入ると、これを合図に、沿道約2kmに渡って高さ3mの筍形に結い上げられた大松明約70本、その他各家ごとに井桁に積まれた松明に一斉に点火され、富士吉田一帯は一面炎の海と化すのです。(これまで火災になったことは無いそうなのでご安心を)
27日夕刻、神輿は浅間神社に還御します。この時氏子崇敬者がすすきの玉串を持って神輿の後に続き高天原と呼ばれるところを7廻りします。これを「すすき祭り」ともいいます。
「北口本宮富士浅間神社」は、景行天皇40年(110)日本武尊が東方遠征の折りに、大塚丘より富士山を拝し「富士には北側より登拝するのが良い」として祠と鳥居を建てたのが始まりと伝わります。垂仁天皇の時、富士山の大噴火を恐れる人々の心を静めるため、火山鎮護の神「木花開耶姫」を奉ったのが始まり。
本殿には、他に「彦火之瓊瓊杵命」「大山祗命」も祀られ、西宮本殿には「天照大神」が祀られています。東宮本殿は、北条義時が創建した永禄4年(1561)、武田信玄が川中島の勝利を祈願して再建されたと伝えられるものです。「彦火火出見命:ひこほほでみのみこと」は、富士権現と呼ばれます。
本殿、西宮本殿、東宮本殿ともに国の重要文化財に指定。拝殿の前には「富士太郎杉」「富士夫婦檜」の名を持つ見事な御神木があります。平成24年文化庁より重要無形民俗文化財に指定されました。
北口本宮富士浅間神社
◇山梨県富士吉田市上吉田5558
◇富士急行「富士吉田駅」徒歩20分
◇富士急バス「山中湖方面行き」5分
◇中央道「河口湖IC」国道138号5分
◇参考Web:http://www.sengenjinja.jp/
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
私たちが生活している日本は、地震と火山から切り離せません。吉田の火祭りは火臥せ祭りで、富士山噴火が止んだことにちなんだ祭礼です。首都圏の直下型地震対策、東南海地震、富士山噴火説など、東日本大震災以後、天災の予知については話題が絶えません。
記録によると、『天応元年(781)、富士山の噴火があり、甲斐国主の紀豊庭朝臣が卜占(ぼくせん:占うこと)し、延暦7年(788)、大塚丘の北方に社殿を建立しました。これが現在社殿のある地で、ここに浅間大神をおうつしし、大塚丘には日本武尊をお祀りしました。』とあります。
天応元年に、富士山噴火があったことがわかります。これから再噴火があるのかもしれません。天災は予知できません。常に備えておきましょう。
筆者敬白