■8月9日「長崎 原爆の日」です。■
昭和20年(1945)8月9日午前11時2分、米軍は6日の広島に続いて長崎に史上第2の原子爆弾「ファット・マン」を投下しました。
長崎上空9600mから投下された爆弾は、高度500mで炸裂、0.2秒後に半径200mの火球(温度8000度)を作り、爆風、熱線、放射線となって市民を襲いました。
長崎に落とされたのはプルトニウム爆弾で、広島のウラン爆弾より強力なものでしたが、長崎の地形が被害の拡大を防ぎました。とはいえ7万4000人余の命を一瞬で灼き尽くした威力は凄まじいものです。以降、原爆が原因で亡くなった人は15万人に上ります。
当初の計画では、ナチスドイツに対抗するために開発されていましたが、製造途中でドイツが降伏してしまったために、ターゲットを日本に変更しました。アメリカ大統領トルーマンは、原爆投下まで日本を降伏させるな、との指示を出していました。日本の都市に投下することで原爆の威力を実証したかったのです。
この日、長崎市松山町「平和公園」の「平和祈念像」前で、原子爆弾・核兵器がもたらす被害と悲しみを二度と経験することのないよう、犠牲者の霊を慰め、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が行われ、原爆が投下された11時2分、犠牲者の冥福を祈り、1分間の黙祷を捧げます。
地球に生きるすべての皆さん、一度立ち止まって、考えてみてください。
被爆者は、思い出すのも辛い自らの被爆体験を語ることで、核兵器がいかに非人道的な兵器であるのかを世界に訴え続けてきました。この訴えこそが、78年間、核兵器を使わせなかった「抑止力」となってきたのではないでしょうか。
その被爆者の平均年齢は、今年85歳を超えました。被爆者がいなくなる時代を迎えようとしている中、この本当の意味での「抑止力」をこれからも持ち続けられるか、そして核兵器を廃絶できるかは、私たち一人ひとりの行動にかかっています。
―― 長崎市長 鈴木史朗「令和5年 長崎平和宣言」より
◆「平和・原爆」(長崎市):https://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/index.html
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
8月6日の広島原爆の日同様、私たち日本人には忘れてはいけない日です。これを機会に核兵器について考えるよい機会です。私たちは報復など争いを繰り返さないことが肝要です。
まだまだ残暑厳しい頃です。
皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白