2024.07.31
8月

令和6年(2024)8月7~13日 下関、忌宮神社(いみのみやじんじゃ)「数方庭祭(すほうていさい)」です。

■8月7~13日 下関、忌宮神社(いみのみやじんじゃ)「数方庭祭(すほうていさい)」です。■

長門の國二ノ宮「忌宮神社(いみのみやじんじゃ)」は、「仲哀天皇(ちゅうあいてんのう」「神功皇后(じんぐうこうごう)」「応神天皇(おうじんてんのう)」を祀り、「豊浦宮(とよらのみや)」「忌宮(いみのみや)」「豊明宮(とよあきらのみや)」の三殿別立の式内社では古社で旧社格は国幣小社。中世に、火災により豊浦宮、豊明宮が消失したため「忌宮」に合祀し一殿となったといいます。

第14代仲哀天皇が九州の豪族「熊襲(くまそ)」平定のために西下、穴門(あなと;のちに「長門」)に豊浦宮を興して7年間滞在しました。忌宮神社はその宮跡といわれています。

熊襲征伐の途中、仲哀天皇が筑紫(福岡県)の香椎(かしい)で崩御。時の神功皇后はご遺骸を豊浦宮近くの土肥山に仮埋葬させ、御神霊を鎮祭したと伝わります。また一説には、神懸りした神功皇后による託宣を疑ったため筑紫の香椎で亡くなった仲哀天皇を、皇后自ら三韓征伐を果たした帰途に、豊浦宮の跡に祀ったことが始まりとあります。

◆数方庭祭(すほうていさい)

「数方庭祭(すほうていさい)」は、仲哀天皇6年(197)朝鮮半島より攻めてきた新羅(しらぎ)の塵輪(じんりん)を、仲哀天皇自ら弓を取って討ち倒し、戦勝を祝って塵輪の屍の周りで踊りまわったことから始まったと伝わります。毎年8月7日から7夜にわたって行なわれます。

期間中は、毎夜の7時より9時半頃まで、男子は大幟(おおや)、女子は切籠(きりこ:灯籠を吊るした笹竹)を持って、鉦や太鼓に合わせて「鬼石」のまわりを踊り舞います。太鼓の音に合わせ気勢を上げたあと、大幟、切籠が加わり中心の鬼石をまわって、「チャンコホイホイドンパッパッ」のリズムも軽やかに、初めは優雅に次第に勇壮に盛り上がっていきます。大幟は最大30m、100kg、最大周囲52cmにもなり、扱いにも修練を要します。

もとは戦勝祈願、そして、敵味方含めて戦で命を落とした者への慰霊・供養のための祭りだったといわれます。いまでは様々な信仰が混じり合い、五穀豊穣、子孫繁栄、厄難退除、先祖供養などの祭りになっています。非常にユニークなお祭りのため「天下の奇祭」として有名です。山口県無形民俗文化財。

 

忌宮神社(いみのみやじんじゃ)
◇山口県下関市長府宮の内町1-18
◇JR山陽本線「長府駅」よりバスで6分
◇JR山陽本線「下関駅」よりバスで20分
◇新幹線「新下関駅」よりタクシーで10分
◇バス「城下町長府」下車 徒歩3分
◇公式サイト:https://iminomiya-jinjya.com

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

忌宮神社境内にある近藤清石(:江戸時代末の国学者)による石碑には
「旗さゝげわれも踊らん若からば 神の御庭にむかし忍びて」
と詠われています。「天下の奇祭」数方庭祭は、老若男女が心をはずませ、興奮のるつぼの中に入っていく七夜のお祭りなのです。

今年の夏も熱帯夜、真夏日が続いています。お出かけの際には、暑さ対策を忘れずになさってください。
皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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