2025.03.30
4月

令和7年(2025)4月5~6日 岐阜、伊奈波神社(いなばじんじゃ)「岐阜まつり」です。

■4月5~6日 岐阜、伊奈波神社(いなばじんじゃ)「岐阜まつり」です。■

美濃国三宮「伊奈波神社(いなばじんじゃ)」の旧社格は国幣小社。式内社「美濃国厚見郡・物部神社(もののべじんじゃ)」に縁のある神社です。壬申の乱(じんしんのらん)〔※〕の際、天武天皇(てんむてんのう)が戦勝を祈願したと伝わります。

垂仁天皇(すいにんてんのう)の第一皇子である五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)を主祭神に祀り、妃の淳熨斗媛命(ぬのしひめのみこと)、母の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)、外祖父の彦多都彦命(ひこたつひこのみこと)、臣下の物部十千根命(もののべのとちねのみこと)を配祀します。これらの神を「伊奈波大神(いなばのおおかみ)」と総称します。

主祭神「五十瓊敷入彦命」は、第11代垂仁天皇の長男であり、第12代景行天皇(けいこうてんのう)の兄で、『古事記』や『日本書紀』にも登場します。父、垂仁天皇から弓矢を賜り武事を治めたと伝わります。

河内、大和、摂津、美濃など諸国に開拓された池や溝の数は、実に800にも達し、産業は栄えて農事は豊かになり、天下は泰平であったと記されています。さらに「菟砥川上宮(うとのかわかみのみや:大阪府泉南郡阪南町の菟砥川流域)」にて剣一千を作り、これを奈良の「石上神宮(いそのかみじんぐう)」に納めて有事に備えていたと伝わります。今でいう内政、土木、軍事などあらゆる方面で手腕を発揮したといえます。

天文8年(1539)「斎藤道三(さいとうどうざん)」稲葉山(現・金華山)〔※〕「稲葉山城(いなばやまじょう)」〔※〕を築城する際に現在地に遷座。この地にあった物部神社を合祀し、稲葉山城の鎮守とされました。以降も岐阜の総産土神として篤い崇敬を受け、明治6年(1873)に県社に列格。昭和14年(1939)に国幣小社に昇格しました。

※壬申の乱(じんしんのらん):古代史上最大の内乱。弘文天皇元年(672)6月、天智天皇(てんじてんのう)の太子・大友皇子(おおとものおうじ:弘文天皇)に対し、天智の弟・大海人皇子(おおあまのおうじ:のちの天武天皇)が地方豪族を味方に付けて反旗をひるがえしたものである。朝廷(近江朝廷)に対する反乱者が勝利するという例の少ない内乱だった。
※稲葉山(いなばやま):「金華山(きんかざん)」の旧称。岐阜市にある標高329mの山。市のシンボル的存在で、遠く市内・市外から見えるランドマークになっている。金華山一帯は「岐阜城跡」として国の史跡に指定。
※稲葉山城(いなばやまじょう):戦国時代には、斎藤道三公の居城だった。永禄10年(1567)(一説に永禄7年)、織田信長が城を攻略、この地を平定するとともに、地名も「井の口」を「岐阜」と改称し、天下統一の本拠地とした。現在は復興された三重四層の新天守閣が建ち、最上階からは、東には木曽御嶽山、西に伊吹、養老、鈴鹿の山系、北に乗鞍岳、日本アルプスが連なり、南に広く開けた濃尾平野を流れる長良川(ながらがわ)が伊勢湾に注ぐさまを一望におさめることができる。

◆岐阜まつり

伊奈波神社の「例祭」「神幸祭」「宵宮(よみや)」は、金神社(こがねじんじゃ)、橿森神社(かしもりじんじゃ)をはじめ岐阜市内の多くの神社の例祭と共同で行なわれます。商工祭の「道三まつり」も同期間に開催されるため、町じゅうがお祭りムード一色になります。岐阜市内で行われるそれら全ての祭りを総して「岐阜まつり」と呼びます。御神幸、山車奉曳、打上花火など、全市をあげて祭りを盛り上げ、たくさんの人出で賑わいます。

伊奈波神社
◇岐阜県岐阜市伊奈波通り1の1
◇JR「岐阜駅」名鉄「新岐阜駅」よりバス「伊奈波通り」徒歩約15分
◇公式サイト:https://www.inabasan.com
◆岐阜のまつり(ぎふ信長まつり、道三まつり)公式サイト:https://gifunomatsuri.jp

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

岐阜市では、4月の第1週、伊奈波神社をはじめとする市内の神社が一斉に行なう例祭「岐阜まつり」と商工会などが主催する「道三まつり」がまとめて開催されます。道三まつりは戦国時代の風雲児で岐阜のまちづくりに貢献した斎藤道三をたたえるお祭りです。岐阜まつりの宵宮では、4台の山車と神輿が町を練り歩き祭りの夜を盛り上げます。
暖かくなり行楽の季節になりました。
お出かけの際にはお風邪などお召しにならないようお体ご自愛専一の程
筆者敬白

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