2025.03.23
4月

令和7年(2025)4月1日「親鸞聖人 誕生会(しんらんしょうにん たんじょうえ)」です。

■4月1日「親鸞聖人 誕生会(しんらんしょうにん たんじょうえ)」です。■

鎌倉時代初期の日本の僧「親鸞(しんらん)」(承安3年(1173)4月1日ー弘長2年(1162)11月28日)は、浄土真宗の開祖「親鸞聖人(しんらんしょうにん)」と尊称されます。

浄土宗の開祖「法然(ほうねん)」を師と仰ぎ、生涯に渡り「真の宗教である浄土宗の教え」を継承し、それを高めることに力を注ぎました。

承安3年(1173)4月1日京都生まれ。現在の法界寺(ほうかいじ、真言宗醍醐派別格本山)日野誕生院(ひのたんじょういん、浄土真宗本願寺派)付近(京都市伏見区日野)にて、皇太后宮の大進・日野有範(ひのありのり)の長男として誕生。母は、清和源氏の「八幡太郎」源義家(みなもとのよしいえ)の孫娘・吉光女(きっこうにょ)とされます。幼名は「松若磨」「松若丸」。

出家後、「叡山(比叡山延暦寺)」に登り、天台宗の僧として20年ものあいだ「不断念仏(ふだんねんぶつ、常念仏)」の修行を積みますが、自力修行の限界を感じるようになり下山します。

聖徳太子(しょうとくたいし)の建立とされる「六角堂(ろっかくどう)」(頂法寺の通称、京都市中京区)へ百日参籠し、95日目の暁、夢中に聖徳太子が示現され偈句(げく:「偈」は、仏の教法や仏の功徳をたたえる韻文のこと)を得ます。

夢告(むこく:神仏が夢において何らかの意思を示し告げること、または伝えられた内容)に従い、夜明けに東山吉水の「法然」の草庵を訪ねました。岡崎の地(左京区岡崎東天王町)に草庵を結んで、百日に亘り法然のもとへ通い聴聞。「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」の教えに触れ、入門を決意します。「綽空(しゃっくう)」の名を与えられ、研鑽を積み、しだいに法然に高く評価されるようになります。

建永2年(1207)2月、興福寺(こうふくじ)の訴えにより専修念仏の停止と、4名を死罪、法然、親鸞ら8名が流罪となりました。この事件を「承元の法難(じょうげんのほうなん)」といいます。法然と親鸞は僧籍を剥奪され、法然は「藤井元彦」の俗名を、親鸞は「藤井善信(ふじいよしざね)」を与えられます。法然は、土佐国へ、親鸞は越後国府に配流されました。

親鸞は「善信」の名を俗名に使われたことから、「愚禿釋親鸞(ぐとくしゃくしんらん)」と名乗り、非僧非俗の生活を始めました。以降も僧を名乗ることはありませんでした。

苦難に満ちた生涯を通して、生まれた意義と生きる喜びをひたすら尋ねた親鸞は、法然上人に出遇って念仏の教えに帰し、如来の本願に生き、自らの生涯を賭けて、帰すべき生の大地を「浄土真宗」として顕揚しました。

「三帰依文(さんきえもん)」には、「この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん」とあります。自らの生のもつ真の意義を明らかにできないのが人間……といい、自己の生の真実に目覚めたつことが真の誕生…と説きます。如来の本願に帰して生きる新しい生の誕生を語り伝えています。

この日、真宗大谷派・佛光寺派・興正派などの寺院では御誕生会が行なわれます。

東本願寺(ひがしほんがんじ)
◇京都府京都市下京区烏丸通七条上る
◇JR「京都駅」徒歩7分
◇公式サイト:https://www.higashihonganji.or.jp/

◇法界寺(ほうかいじ)
◆藤原氏一門の貴族・日野家の菩提寺。
◆定朝作(仏師)・伝阿弥陀如来像(国宝)
◇京都府京都市伏見区日野西大道町19
◇法界寺(京都市観光協会):https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=7&tourism_id=456

◇日野誕生院(ひのたんじょういん)
◇京都府京都市伏見区日野西大道町19
◇日野誕生院(京都市観光協会):https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=7&tourism_id=534

令和5年(2023)は「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年」を記念して様々な行事が開催されました。

◆京都国立博物館<「親鸞聖人生誕850年特別展 親鸞ー生涯と名宝>
京都国立博物館:https://www.kyohaku.go.jp/jp/
特設サイト:https://www.kyohaku.go.jp/jp/exhibitions/special/shinran_2023/

◆龍谷ミュージアム<春季特別展「真宗と聖徳太子」>
龍谷ミュージアム:https://museum.ryukoku.ac.jp
特設サイト:https://museum.ryukoku.ac.jp/exhibition/2023/taishi/

 

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

現代は、死にまつわる悲しみや不安を感じながらも、それは日々の生活に埋没し、現世に「生」を受けた意味さえも問わず、「生きる」ことに深い喜びを感じている人は少ないのかもしれません。

この世に生を受けたということは、なにものにも比べることのできない、比べる必要のない、尊いものだと思います。「人として生まれたご恩徳」をすなおに喜びたいものです。

季節の変わり目です。
暖かくなったとはいえ、朝夕は冷え込みます。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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