■4月29日~5月5日 京都「壬生狂言(みぶきょうげん)」です。■
律宗の寺院「壬生寺(みぶでら)」は、正暦2年(991)三井寺(園城寺)の快賢(かいけん)により創建され、小三井寺と呼ばれていました。新撰組ゆかりの寺でも知られます。
本尊は「地蔵菩薩立像」(重文)。かつての本尊は「地蔵菩薩半跏像」(鎌倉時代後期の作)で、「壬生地蔵」「延命地蔵」と呼ばれて信仰を集めていましたが、昭和37年(1962)放火によって本堂、四天王像とともに焼失してしまいました。現在の本尊、地蔵菩薩立像は本山の唐招提寺(とうしょうだいじ)から移されたものです。
◆壬生狂言(みぶきょうげん)
「壬生狂言」は、壬生寺で行なわれる「壬生大念佛会」で演じられる狂言のことで、鎌倉時代からの伝統行事です。約700年の歴史があり、重要無形民俗文化財に指定。「壬生さんのカンデンデン」と呼ばれ、京の庶民大衆に親しまれてきました。
当時、みやこでは疫病が流行し、旧暦3月の落花の頃、疫神(えきじん:疫病や災厄をもたらすという神)が飛び散る花びらに乗って広がるのを防ぐために「鎮花祭(花鎮めの祭)」と呼ばれる祭祀が行なわれていました。
正安2年(1300)、壬生寺中興の祖、円覚上人(えんがくしょうにん)が花鎮めのために開いた法会「大念仏会(だいねんぶつえ)」で披露されたのが「壬生大念仏狂言(みぶだいねんぶつきょうげん)」の始まりと伝わります。
法会では、念仏の真意と功徳を大衆にわかりやすく伝えるため、身振り手振りの無言劇に仏の教え「持斎融通念佛(じさいゆうづうねんぶつ)」を仕組んだ狂言が用いられました。
勧善懲悪・因果応報の理を教える宗教劇で、すべての演者は仮面を付けて、鐘・太鼓・笛の囃子に合わせ、台詞を一切用いずに演じます。
壬生狂言は壬生寺境内の大念佛堂(狂言堂)舞台において、演目「炮烙割(ほうらくわり)」から幕を開けます。足の運びに合わせて「ガンデンガンデン」と単調なリズムの囃子が入ります。
狂言は朝・昼・夜の勤行のうちの昼の勤行として、御本尊「延命地蔵菩薩」に奉納さます。最終日の夜の部をもって「結願」とします。
壬生大念仏講によって伝承されている壬生狂言は、演劇の面でも発展をとげています。本来発祥の宗教劇からレパートリーを広げて、現在では30番の演目があります。昭和51年(1976)国の重要無形民俗文化財として、京都で第一番に指定を受けました。
また、壬生狂言が演じられる大念佛堂は、昭和55年(1980)に国の重要文化財に指定されました。綱わたりの芸をする「獣台(けものだい)」や鬼などが飛び込んで消える「飛び込み」などの装置を持つ、他に類例を見ない特異な建造物と評価されています。
壬生寺
◇京都市中京区壬生梛ノ宮町31 (正門:坊城通り四条下る)
◇市バス「壬生寺道」下車 坊城通りを南へ200m
◇阪急電車「大宮」下車
◇嵐電(京福電車)「四条大宮終着駅」下車
◇公式サイト:https://www.mibudera.com
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
日本では、昭和の終わり頃まで文盲の方がいらっしゃいました。それはそれで幸せだったのかも知れません。文字を知り、コミュニケーションツールが発達したことで、あらぬ誤解や思惑が人の気持ちを惑わします。壬生狂言をご覧になることで、純粋な仏の教えに出会えることでしょう。
・・・請け売りのにわか説法でした。
4月29日から5月5日まで壬生狂言は期間中毎日演じられます。30の演目がある壬生狂言、どの演目が演じられるのかなど、お調べの上お出かけください。
読者の皆様、季節の変わり目です。お体ご自愛専一の程
筆者敬白