2024.04.21
4月

令和6年(2024)4月25日 奈良、興福寺「文殊会(もんじゅえ)」です。

■4月25日 奈良、興福寺「文殊会」です。■

法相宗大本山「興福寺(こうふくじ)」は、南都六宗のひとつに数えられる寺院で、本尊は釈迦如来。南都七大寺2番。南円堂は西国三十三箇所第9番札所。東金堂は西国薬師四十九霊場4番。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されています。

天智8年(669)藤原鎌足夫人・鏡女王(かがみのおおきみ)が、夫の病気平癒を願って「釈迦三尊像」を本尊として建立した「山階寺(やましなでら)」が起源と伝わります。後に、その子息の藤原不比等(ふじわらのふひと)が、平城京左京の現在の地に移建し「興福寺」と名付けました。

東金堂(とうこんどう)は神亀3年(726)聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気平癒を願って造営されました。薬師如来坐像を本尊に、維摩居子坐像、文殊菩薩坐像、日光・月光菩薩立像、四天王立像、十二神将立像が安置されます。

◆文殊会(もんじゅえ)

「文殊会(もんじゅえ)」は文殊菩薩をお祀りして、人々を救い教化し、また孤児を養い育てることを祈願することが起源といわれています。

文殊菩薩は、詳しくは「文殊師利法王子(青年たるマンジュシュリー)菩薩」。サンスクリット語の mañjuśrī の音写で、manju は「美しい、魅力のある」、sri は「繁栄、栄光王者」を意味します。「妙吉祥菩薩(みょうきっしょうぼさつ)」「妙徳菩薩(みょうとくぼさつ)」とも。その絶大な「智慧」を象微して、獅子に乗る姿で表されます。興福寺の「文殊菩薩坐像」は、古くから学問僧の祈願仏として信仰されました。

『仏説文殊師利般涅槃経(ぶっせつ もんじゅしりはつねはんきょう)』には、「文殊菩薩を供養したいと思はば、文殊菩薩は貧窮孤独苦悩の衆生となって現れよう。貧者に施給するは、文殊菩薩を供養することである」と書かれています。

法会の起源は、淳和天皇(じゅんなてんのう、786-840)のとき、勤操、泰善等が畿内、飯をつつみ、菜を加えて、諸々の貧者に施す社会福祉的な善業を、公家と協力して行なったのに始まります。文殊会のほとんどは平安朝の末期に衰退してしまいましたが、文献などによると、興福寺では江戸時代後半、享保年間にも文殊会が続いていたようです。

興福寺では4月25日に文殊会を行います。知恵、福徳、富貴の「菩薩の知恵」にあずかろうとする稚児の行列が、浄教寺から奉納された一字書の奉額車を引いて三条通りの坂道を東金堂に向けて練行します。ほかに、書道展や茶会が催されます。

興福寺
◇奈良市登大路町48番地
◇JR「奈良駅」徒歩15分
◇近鉄電車「近鉄奈良駅」5分
◇公式サイト:https://www.kohfukuji.com

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

平成21年(2009)興福寺創建1300年を記念して東京国立博物館で「阿修羅像」が展示され、新たな仏像ファンを増やしました。文字や写真では表現できない美しさが人々を惹き付けるのでしょう。
筆者も国立博物館に出向いて拝観しましたが、あまりにも人が多く、ほんの数秒しか拝観できませんでした。
4月下旬です。暖かい日が続きますが、時おり寒の戻りがあります。
読者のみなさまお体ご自愛専一の程
筆者敬白

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