2024.04.07
4月
雑節・歴注・撰日

令和6年(2024)4月11日(旧3月3日)「旧ひなまつり」です。

■4月11日(旧3月3日)「旧ひなまつり」です。■

上巳(じょうし)」は五節句〔※〕のひとつで、旧暦3月3日の称。上巳とは、旧暦3月の「上旬の巳(み)の日」のこと。元巳(げんし)ともいいます。古来中国の三国時代「魏(ぎ、220~265)」以来3月3日を上巳とし、この日、川で身を清め不浄を祓う習慣がありました。

日本には平安時代に取り入れられ、宮中では「曲水の宴(きょくすいのうたげ、きょくすいのえん)」を張り、「祓え(はらえ)」を行なうようになりました。やがて宴はすたれましたが、上巳は「巳の日の祓(みのひのはらえ)」として貴族の間に定着していきました。これを「上巳の祓(じょうしのはらえ)」といいます。

「形代(かたしろ:人の形をした紙の人形)」を作って、これに穢れ(けがれ)を移して川や海に流し、不浄を祓います。日本各地に残る「流し雛(ながしびな)」の風習の原型です。

上巳の祓は、江戸時代以降に「雛祭り(ひなまつり)」として急速に庶民の間にも広まり、後に「上巳」は「3月3日の雛節句」を指す言葉として使われるようになりました。

雛祭り(ひなまつり)」は、女の子のいる家庭で、雛人形やその調度品を飾り、白酒・菱餅・あられ・桃の花などを供えて祭る行事です。「雛節句」「桃の節句」とも呼ばれ、女子の健やかな成長を願います。

雛祭りの起源は、京の貴族階級の子女が、天皇の御所を模した御殿や飾り付けで遊んだ平安時代の「雛あそび」がその始まりとされています。やがて武家社会でも行なわれるようになり、江戸時代になると上巳は五節句のひとつに定められ、庶民の人形遊びと節句が結び付いて行事となって発展しました。

雛人形もだんだんと華美になり、徳川幕府が「雛や調度品に金銀箔を用いないよう」御触書(おふれがき)を出して戒めたほど。明治以降は次第に華やかになり、賑やかに行なわれるようになりました。

女の子が生まれて初めて迎える節句を「初節句」といって特に祝います。母親の実家から雛人形や調度品が贈られます。

雛の膳」とは、雛祭りに際し、雛壇などに供えられる祝い膳のこと。欠かせないのが「桃の酒」と「白酒」です。桃の酒は桃の花を浸した酒で、3月3日に飲めば百病を除くといわれます。

「桃」は、古代中国では邪気を祓う「仙木(せんぼく)」と考えられていましたので、桃の酒を飲む習慣が出来ていました。日本でも魔除けとして桃の木を用いることが多く、神符なども「桃符(とうふ)」と呼ばれることがあります。

桃の葉は、汗疹(あせも)やタダレに効き目があり、よく浴湯に入れてこれを「桃湯(ももゆ)」といいました。葉の汁を飲むと魚の中毒を緩和するとして、古来より用いられていました。

桃の酒に「白酒(しろざけ)」がそえられたのは、やはり紅白が目出度いとされたからとか。白酒は、みりんに蒸した米や麹を混ぜ合わせ熟成糖化させたもので、甘味が強く白く濁った酒です。または「山川酒(やまかわざけ)」とも。

菱餅(ひしもち)」は、伸し餅を菱形に切ったもので、普通は紅白緑の三層です。赤の梔子(くちなし)は解毒剤、白は血圧低下剤、緑の蓬(よもぎ)は増血剤になっています。また、菱餅の形は心臓の形を表したとの説も。何気ない供え物の中にも、娘の長命を願う心が生きています。

※五節句(ごせっく)
五節句は、中国の暦で定められた季節の変わり目のことです。3月3日(上巳)、5月5日(端午)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽のように奇数の重なる日が選ばれていますが、1月だけは1日(元旦)を別格とし、1月7日(人日を五節句にしています。
五節句は明治6年に廃止されましたが、暦の上では年中行事として定着しています。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

旧暦の3月3日のほうが桃の節句に季節が合っているように感じます。桃の節句、上巳の節句は子供の健康と成長を願う親の気持ちがにじみ出ています。
古今、地域が違っても子供の成長を願う親の気持ちには少しも変わりがないようです。

日に日に春を感じられるようになります。
花粉の飛散が盛んになる時期でもあります。
皆様、お体ご自愛専一のほど
筆者敬白

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