2026.07.31
8月

令和8年(2026)8月7~13日 下関、忌宮神社(いみのみやじんじゃ)「数方庭祭(すほうていさい)」です。

■8月7~13日 下関、忌宮神社(いみのみやじんじゃ)「数方庭祭(すほうていさい)」です。■

長門国(ながとのくに)二宮「忌宮神社(いみのみやじんじゃ)」は、本州最西端、山口県下関市に鎮座します。御祭神として

「仲哀天皇(ちゅうあいてんのう」
「神功皇后(じんぐうこうごう)」
「応神天皇(おうじんてんのう)」

を祀ります。旧社格は国幣小社。「豊浦宮(とよらのみや)」「忌宮(いみのみや)」「豊明宮(とよあきらのみや)」の「三殿別立」の式内社では古く歴史があり、中世に火災で豊浦宮、豊明宮が焼失したため「忌宮」に合祀し一殿となったといいます。

第14代「仲哀天皇」が九州の豪族「熊襲(くまそ)」平定のために西下、「穴門(あなど、あながと)」(のちに「長門」)に「豊浦宮」を興して7年間滞在したといわれ、「忌宮神社」はその宮跡と伝わります。

熊襲征伐の途中、仲哀天皇が筑紫(福岡県)の香椎(かしい)で崩御。時の「神功皇后」はご遺骸を豊浦宮近くの土肥山に仮埋葬させ、御神霊を鎮祭したと伝わります。また一説には、神懸りした神功皇后による託宣を疑ったため筑紫の香椎で亡くなった仲哀天皇を、皇后自ら「三韓征伐」を果たした帰途に、豊浦宮の跡に祀ったことが始まりとされます。

忌宮神社が鎮座する下関市南部の地域を「長府(ちょうふ)」といい、古くは「豊浦宮」にちなみ「豊浦(とよら)」とも呼ばれていました。忌宮神社の付近に「長門国の国府」が置かれていたことが「長府」の地名の由来になったと伝わります。

境内には、仲哀天皇7年(198)朝鮮半島より攻めてきた「新羅(しらぎ)」の「塵輪(じんりん)」(翼を持ち黒雲に乗って飛来する鬼)を仲哀天皇自ら弓を取って討ち倒し、その首を埋めるときに使ったと伝わる石「鬼石」があります。

◆数方庭祭(すほうていさい)

「数方庭祭(すほうていさい)」は、攻めてきた新羅の塵輪を討ったとき戦勝を祝って塵輪の屍の周りで踊りまわったことから始まったと伝わります。毎年8月7日から7夜にわたって行なわれます。

期間中、毎夜7時より9時半頃まで、男子は「大幟(おおや)」、女子は「切籠(きりこ)」(灯籠を吊るした笹竹)を持ち、鉦や太鼓に合わせて「鬼石」のまわりを踊り舞います。「大幟」は最大30m、100kg、最大周囲52cmにもなり、扱いにも修練を要します。

太鼓の音に合わせ気勢を上げたあと、「大幟」と「切籠」が加わり、中心の鬼石をまわって、「チャンコホイホイドンパッパッ」のリズムも軽やかに、初めは優雅に次第に勇壮に盛り上がっていきます。

もとは「戦勝祈願」、そして、敵味方含めて戦で命を落とした者への「慰霊・供養」のための祭りだったといわれます。いまでは様々な信仰が混じり合い、五穀豊穣、子孫繁栄、厄難退除、先祖供養などの祭りになっています。非常にユニークなお祭りのため「天下の奇祭」として有名です。山口県無形民俗文化財。

忌宮神社(いみのみやじんじゃ)
◇山口県下関市長府宮の内町1-18
◇JR山陽本線「長府駅」よりバスで6分
◇JR山陽本線「下関駅」よりバスで20分
◇新幹線「新下関駅」よりタクシーで10分
◇バス「城下町長府」下車 徒歩3分
◇公式サイト:https://iminomiya-jinjya.com

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

忌宮神社境内にある「近藤清石(こんどうきよし)」(江戸時代末の国学者)による石碑には「旗さゝげわれも踊らん若からば 神の御庭にむかし忍びて」と詠われています。「天下の奇祭 数方庭祭」は、老若男女が心をはずませ、興奮のるつぼの中に入っていく七夜のお祭りなのです。
今年の夏も熱帯夜、真夏日が続いています。お出かけの際には、暑さ対策を忘れずになさってください。
皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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