2026.04.15
4月

令和8年(2026)4月22日 滋賀、多賀大社「古例大祭(多賀まつり)」です。

■4月22日 滋賀、多賀大社「古例大祭(多賀まつり)」です。■

滋賀県犬上郡多賀町(いぬかみぐんたがちょう)に鎮座する「多賀大社(たがたいしゃ)」は、古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県で最も有名な古社です。式内社で、旧社格は官幣大社。

ご祭神として、日本の国土や神々を生んだ

「伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)」
「伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)」

の2柱を祀ります。『古事記』に「伊邪那岐大神は淡海(あふみ)の多賀に坐(いま)すなり」とあります。多賀町は、古今を通じイザナギ・イザナミの2大神を祀る多賀大社を中核として発展してきました。

奈良・平安時代には公家の信仰篤く、鎌倉から江戸時代にかけては武家からの信仰も集めました。明応3年(1494)近江国守護「六角高頼(ろっかくたかより)」により神宮寺として天台宗の「不動院」が建立されました。その後、不動院の下の観音院、般若院、成就院の坊人(ぼうにん)たちの活発な布教により、延命長寿を祈る神仏習合の信仰「多賀信仰(たがしんこう)」が全国各地に広まり、伊勢や熊野にならんで多くの参詣者を集めました。「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡も。

「莚命長寿の神」「縁結びの神」として信仰を集める「お多賀さん」。延命利益のあるとされる「お多賀杓子」のお守りも人気です。「お多賀杓子」は、第44代「元正天皇(げんしょうてんのう)」が病に伏したとき、多賀大社神主がおこわを炊いて、シデの木で作った杓子とともに献上したところ、天皇はたちまち治癒したという故事にちなんだ木製のしゃもじです。

杓子を作った木の余りを地に挿して育ったと伝わるのが、多賀大社から南西500mほどの水田地帯に生えている2本の欅(けやき)の大木です。2本の欅は「飯盛木(いもろぎ)」という名前で呼ばれ、多賀大社の御神木とされています。

拝殿東回廊のわきには、「寿命石」と呼ばれる石の史跡があります。この石には、平安時代後期から鎌倉時代初期の高僧「重源(ちょうげん)」にまつわる伝説があります。治承4年(1181)の「南都焼討(なんとやきうち)」で東大寺は主な伽藍のほとんどを焼失してしまいました。翌年、重源は「後白河上皇(ごしらかわじょうこう)」より大勧進職(だいかんじんしょく)を拝命し、東大寺復興に尽力。当時、61歳だった重源は多賀大社に参籠、20年の延命を感得し、大業を成したと伝わります。そのとき重源が背負っていた背負子をこの石の上に下ろして休んだといわれます。

◆古例大祭(多賀まつり)

毎年4月22日、多賀大社年間の最重儀「古例大祭(これいたいさい)」が行なわれます。神輿や行列、騎馬が繰り出す渡神事(わたりしんじ)です。「多賀まつり」、あるいは騎馬多数の供奉が行なわれることから「馬まつり」とも呼ばれています。

前儀は早く1月3日から始まり、近郷の有力者のなかから祭りの主役である「馬頭人(ばとうにん)」が選ばれ、馬上から祭りの指揮をします。当日、早朝から大祭を斎行、午前10時には列次を整えてお渡りが出発します。行列は、馬頭人、御使殿を中心に、氏子や崇敬者の騎馬供奉40数頭、御神輿や御鳳輦の供奉者など実に500名にもおよびます。

多賀大社
◇滋賀県犬上郡多賀町多賀604番地
◇近江鉄道「多賀大社前駅」徒歩10分
◇名神「彦根IC」から10分、「湖東三山スマートIC」から15分
◇公式サイト:https://www.tagataisya.or.jp

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

「多賀まつり」はさながら歴史絵巻の様相です。祭りの見物客も次々繰り出す行列を見ているだけで壮観さを感じます。
「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」
いちどは出向いてみましょう。

多賀まつりが終わると、そろそろゴールデンウイークに入ります。
筆者敬白

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