2026.03.31
4月

令和8年(2026)4月7日 浄土宗の祖「法然上人降誕会(ほうねんしょうにんごうたんえ)」です。

■4月7日「法然上人降誕会(ほうねんしょうにんごうたんえ)」です。■

「法然(ほうねん)」は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶で、「浄土宗(じょうどしゅう)」の開祖です。真宗七高僧の第七祖。日本仏教に大きな影響を与え、「円光大師(えんこうだいし)」をはじめいくつもの大師号(だいしごう)を贈られました。「法然」は房号(ぼうごう)で、諱(いみな)は「源空(げんくう)」。幼名は「勢至丸(せいしまる)」。

長承2年(1133)4月7日、美作国(みまさかのくに)久米南条稲岡庄(現在の岡山県久米郡久米南町)の押領使(おうりょうし)「漆間時国(うるまのときくに)」と「秦氏(はたうじ)」の一族の母とのあいだに誕生。夫婦には子がなかったため観音さまに一心を込めて願い、授かった男の子でした。

法然誕生のとき、空から「二流(ふたながれ)の白幡(しらはた)」が舞い降りて屋敷内の「椋(むく)の木」の梢にかかり7日の後に飛び去ったと伝わります。この奇瑞は「二幡の椋(ふたはたのむく)」「誕生椋(たんじょうむく)」と呼ばれます。

保延7年(1141)、法然9歳のとき、対立していた「明石源内定明(あかしげんないさだあきら)」の夜襲を受け、父・時国を失います。時国はまだ幼い息子に、仇として定明を追うことを戒め、「仏道を歩み安らぎの世を求めよ」との遺言を残しました。

法然は母の弟で学僧の「観覚(かんがく)」に引き取られました。観覚は法然の才能を見出して、「比叡山(ひえいざん)」で学ぶことを勧めました。そして法然15歳のとき、比叡山に登りました。比叡山では「皇円(こうえん)」について得度、「天台三大部(てんだいさんだいぶ)」を学びます。「天台三大部」とは、中国天台宗の大成者「智顗(ちぎ)」の主要著作の総称です。

その後、比叡山黒谷の「叡空(えいくう)」に師事。「法然」という房号は、叡空が「法然道理の聖(ひじり)」であると評価したことから得たといわれています。「法然道理」とは、物事の動かしようのないあるがままのすがたという道理のこと。また、登山後の最初の師「源光」と「叡空」から一字ずつ取り「源空」という諱を授かりました。以降、「法然房源空」と名乗ります。そして18歳の頃にはすでに多くの経典を読破し、優秀な学僧として将来を嘱望されるようになります。

承安5年(1175)、法然43歳のとき、中国唐代の僧「善導(ぜんどう、光明大師)」の教義書『観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)』によって「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」に進みます。比叡山を下りて東山吉水(よしみず)に住み、念仏の教えを広め始めました。この年が浄土宗の立教開宗の年とされています。

文治2年(1186)、法然54歳のとき、のちに天台座主(てんだいざす)となる「顕真(けんしん)」により大原に招かれ浄土教の教えについて討論し(「大原問答」「大原談義」)、文治6年(1190)には、焼討により焼失した大仏や堂塔を焼失後、再建中だった奈良の「東大寺」に招かれて、「浄土三部経」の講義を行ないました(「東大寺講説」)。

建久9年(1198)ごろ、66歳のとき、法然を戒師と仰ぐ「九条兼実(くじょうかねざね)」に請われて『選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)』(略称『選択集(せんちゃくしゅう)』)を著します。『選択集』は「専修念仏」の根拠を理論的に明示し、体系化した内容であり、浄土宗の根本聖典となりました。

法然は特に「善導」の思想を重視しました。それは「極楽浄土への往生を一心に願い、常に念仏をしていれば、必ず阿弥陀仏がその者を救ってくれる」という思想でした。法然の教えは、そのわかりやすさから多くの人びとの帰依を受けることになります。しかし、これは既成の仏教教団にとっては非常に危険な思想でもありました。そのため、法然と弟子たちは激しい弾圧を受けたのです。

元久元年(1204)、比叡山の僧徒が専修念仏の停止を迫って蜂起。法然は「七箇条制誡(しちかじょうせいかい)」を草して門弟190名の署名を添え延暦寺に送りましたが、興福寺の奏状により念仏停止の断が下されました。

建永2年(承元元年・1207)、法然は還俗させられ、「藤井元彦」の名前で土佐国(讃岐国)へ流罪となりました。この「建永の法難(承元の法難)」では、ふたりの弟子が死罪になり、法然と数名の弟子が各地に流罪になりました。しかしこれが結果的に浄土系仏教を全国に広めることになるのです。

4年後の建暦元年(1211)、赦免となり帰京。翌2年(1212)1月25日死去。享年80歳。1月23日に遺言書「一枚起請文(いちまいきしょうもん)」を門弟「源智(げんち、勢観房)」の願いに応じて記しています。

法然の門下には、信空(しんくう、法蓮房、白川上人)、感西(かんさい、真観房)、証空(しょうくう)、源智、隆寛(りゅうかん)、聖光(しょうこう、弁長、鎮西上人)、幸西(こうさい、阿波聖人)、親鸞(しんらん、浄土真宗の宗祖)、長西(ちょうさい)ら多くの弟子がいます。さらに俗人の帰依者、庇護者として、「九条兼実(円証)」「熊谷直実(くまがいなおざね)」「宇都宮頼綱(うつのみやよりつな)」らが知られます。記録には残されていませんが、庶民の信者も多くいたであろうと考えられています。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

浄土宗の寺院では、4月7日の「宗祖降誕会(法然上人の誕生を祝し報恩謝徳を表す法会)」を翌8日の「灌仏会(かんぶつえ:釈尊の誕生を祝う法会)」と合わせて執り行なわれることが多いようです。宗祖降誕会では「二幡の椋」の奇瑞にもとづいて、白い2本の仏幡を掲げて荘厳し法然上人の誕生を祝います。
4月に入り、過ごしやすい季節になりました。
花見に興じて夜風にあたりお風邪などお召しにならないよう
お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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