2026.03.28
4月

令和8年(2026)4月4日 奈良、龍田大社(たつたたいしゃ)「例大祭」です。

■4月4日 奈良生駒、龍田大社(たつたたいしゃ)「例大祭」です。■

「龍田大社(たつたたいしゃ)」は、風力主宰・五穀豊穣の神で、古来より朝廷の崇敬篤い名神大社(みょうじんたいしゃ)です。旧社格は官幣大社、旧称「龍田神社」

「天御柱大神(あめのみはしらのおおかみ、別名:志那都比古神(しなつひこのかみ))」「国御柱大神(くにのみはしらのおおかみ、別名:志那都比売神(しなつひめのかみ))」の2柱を祀ります。「天御柱大神」と「国御柱大神」は、男神と女神の一対の神さまで、風を司る「風神」です。

『日本書紀』に、天武天皇4年(675)、「風神を竜田の立野に祠らしむ」と記されるように、「龍田風神」は古くから「風の神(風神)」として信仰を集めています。伝わるところによると、第10代「崇神天皇(すじんてんのう)」の時代、凶作や疫病の流行がつづいたとき、神託により龍田大社が造営されると、作物は豊作となり疫病はおさまったという出来事があり、これが創建とされています。「龍田」という地名はその頃からあるそうです。

◆白髪老人伝説
「聖徳太子(厩戸王)」が、16歳の時(589)、飛鳥を発ち平群川(龍田川、現在の大和川)に沿って法隆寺建立の地を探していました。そこに、白髪の老人が現れ、「ここから東の、ほど近いところに斑鳩の里がある。そここそ仏法興隆の聖地である。われが守護神となろう」とお告げがありました。この老人こそ「龍田明神」の化身だったのです。

聖徳太子が斑鳩に宮殿「斑鳩宮(いかるがのみや)」を造った頃、推古天皇の時代、奈良と大阪を結ぶ道が整備されました。「生駒山地(いこまさんち)」と「金剛山地(こんごうさんち)」のあいだを流れる「大和川(やまとがわ)」に沿って刻まれた、細く険しい渓谷の道です。聖徳太子自身も往復していたと考えられるこの街道は、「竜田越(たつたごえ)」「龍田古道(たつたこどう)」などと呼ばれています。龍田古道は奈良時代において、河内国(かわちのくに)、摂津国(せっつのくに)を平城京とつなぐ非常に重要な「官道(かんどう)」でした。

「龍田大社」は、龍田古道を通ると都に至る玄関口に鎮座します。生駒と金剛の両山地の切れ目にあたる場所で、陰陽道においては「龍穴(りゅうけつ)」となり、都によい気を運ぶのによい土地と考えられていました。龍田大社の風神は、やはり大和川沿いにある「廣瀬大社(廣瀬神社)の水神」と対をなし、要所を護る神として祀られてきたのです。

◆龍田大社、春の例大祭

龍田大社の春の例大祭は4月4日に執り行なわれます。もともと夏の「風鎮大祭(ふうちんたいさい)」と対をなすお祭りで、明治維新までは「風神祭」と呼ばれていました。

前日の3日、大和川で新鮮な「鯉(こい)」をとり、岩瀬の杜の水神さまである「若宇加能売命(わかうかのめのみこと)」に供えて奉告をします。これを「瀧祭(たきまつり)」といいます。瀧祭でとった鯉を荷桶に入れて本社に担ぎ帰り、翌4日の「例大祭」で生きたままお供えします。例大祭を終えたあと、もとの大和川に放魚する「放魚祭」が行なわれます。

4月4日の「4」は、陰陽道の「木・火・土・金・水」の五行(ごぎょう)のうち「金」を意味し、農耕で、より良い水を得るためのお祭りでした。現在は転じてより良き水の流れ、つまり物事が順調に進むようにとの祈りを捧げます。

龍田大社
◇奈良県生駒郡三郷町立野南1丁目29-1
◇JR大和路線「三郷駅」徒歩5分
◇公式サイト:https://www.tatsutataisha.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

龍田大社の歴史を調べていると、数々の逸話があることがわかります。それだけの歴史を持つ神社なのです。運輸関連、風の神など古来よりの官幣大社だったなごりから、全国各地の人びとの崇敬を集めています。
季節の変わり目です。皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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