■4月5日 日本三大御田植祭、香取神宮「御田植祭(おたうえさい)」です。■

※令和8年(2026)の御田植祭は4月5日(日)のみの祭典執行となります。
下総国一宮「香取神宮(かとりじんぐう)」の旧社格は官幣大社。創建は非常に古く、初代神武天皇18年(紀元前643)までさかのぼると伝わります。日本全国に約400社ある「香取神社」の総本社です。

「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう、しんめいちょう)」によると、平安時代に「神宮(じんぐう)」の称号で呼ばれていたのは、「大神宮(伊勢神宮内宮)」「鹿島神宮(かしまじんぐう)」「香取神宮」の3社だけで、鹿島神宮と香取神宮は「蝦夷(えみし)」に対する大和朝廷の前線基地でした。
御祭神は「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」、またの御名を「伊波比主命(いはひぬしのみこと)」といいます。経津主大神は、出雲の「国譲り(くにゆずり)」の神話に登場する神です。

はるか昔、「天照大神(あまてらすおおみかみ)」が日本の国を治めようとしたとき、荒ぶる神々が争い乱れていました。天照大神が「八百万神(やおよろずのかみ)」に相談すると、すぐれた神であるということで「天穂日命(あめのほひのみこと)」が遣わされましたが、国津神(くにつかみ)の「大国主神(おおくにぬしのかみ)」に従ってしまいました。次に、「天稚彦(あめのわかひこ)」が遣わされたものの、天稚彦もまた忠誠の心がなく、大国主神の娘の「下照姫(したてるひめ)」を妻とし。自ら国を乗っ取ろうとしましたが亡くなってしまいました。
天照大神が八百万神に慎重に相談させると、神々が口を揃えて、「経津主大神」こそふさわしいと申し上げ、そこへ「武甕槌大神(たけみかづちのかみ、鹿島神宮の祭神)」が申し出たので、ともに出雲に派遣されることになりました。
経津主・武甕槌の二神は、出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に到着。「十握剣(とつかのつるぎ)」を抜き、逆さに突き立て武威を示すと、大国主神は天照大神の御命令に全く異議なしとなり、「平国の広矛(くにむけのひろほこ)」を受け取りました。こうして二神は日本の国を平定して天照大神のもとへ復命しました。
◆御田植祭(おたうえさい)

香取神宮の「御田植祭」は、伊勢神宮、大阪住吉大社の御田植祭とならび「日本三大御田植祭」のひとつに数えられています。風水害なく無事に「田植え」を終え、秋の「五穀豊穣」を祈願するお祭りです。明徳2年(1391)にはすでに行なわれていたという史料が残っています。
初日の「耕田式」、翌日の「田植式」と2日間にわたって行なわれます(※令和8年は4月5日のみ)。「耕田式」では拝殿の前庭にて鎌、鍬、鋤、牛を用いた田植え前の田を耕す風景を模した儀式が繰り広げられ、舞女の田舞の歌や早乙女手代の田植え歌が奏されます。
「田植式」では8人の稚児が大華傘の下で参列し、地元の少女たち12名による田舞が奉納されます。神職等が行列をつくって参道を進み、神田へ向かいます。神田では実際に田植えの儀式が行なわれます。早乙女手代が「田植え歌」を唄いながら苗を植える姿は、昔の稲作風景を伝えるほのぼのとしたもの。
この時期は例年桜の見頃と重なり、境内は桜に包まれ、春のお祭りに一層の彩りを添えます。

香取神宮
◇千葉県香取市香取1697-1
◇JR成田線「佐原駅」から香取行きバス終点
◇公式サイト:https://katori-jingu.or.jp
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

日本三大御田植祭は、千葉の香取神社、大阪の住吉大社、伊勢神宮で行なわれます。一説には志摩の伊雑宮(いざわのみや)も含まれます。お田植え祭はどれも春先の桜の時期で、とてもよい季節です。最近では、かつての稲作の作業風景を再現する催しが一般的です。
観光シーズンです。ぜひお田植え祭の見物にお出かけください。日本のルーツを見る思いですよ。
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白







