■3月9日 茨城、鹿島神宮「祭頭祭(さいとうさい)」です。■

「常陸国(ひたちのくに)」(現在の茨城県の大部分)の一之宮「鹿島神宮(かしまじんぐう)」の創建は、「神武天皇(じんむてんのう)」即位の年の皇紀元年(紀元前660)と伝わります。その由緒と長い歴史は別格です。

千葉県香取市の「香取神宮(かとりじんぐう)」、茨城県神栖市の「息栖神社(いきすじんじゃ)」とともに「東国三社(とうごくさんしゃ)」と呼ばれて信仰を集めました。いずれの御祭神も、日本神話の「国譲り(くにゆずり)」(葦原中国平定(あしはらのなかつくにへいてい))にかかわる古い神々です。
鹿島神宮の御祭神は「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」です。東征の半ば、熊野にて神武天皇が思わぬ窮地に陥ったとき、「天照大神(あまてらすおおかみ)」に命じられた武甕槌大神が、夢告を介して「高倉下(たかくらじ)」という者を導き、神武天皇のもとに「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」を届けさせました。武甕槌大神が国を平定したときに携えていた剣「韴霊剣」の神威はすさまじく、邪気を払って神武天皇一行を救いました。
記紀によると、武甕槌大神は、宇宙自然の創世に成りませる陰陽の神「イザナギ」「イザナミ」の両神より生まれた火の神「カグツチ」から誕生したといいます。鹿島神宮の主神として祀られていることから「鹿島大神(かしまのおおかみ)」「鹿島大明神(かしまだいみょうじん)」とも呼ばれ、「剣の神」また「雷神」として信仰されています。
◆鹿島神宮の要石

鹿島神宮の奥宮(おくのみや)のほど近くに「要石(かなめいし)」という名の霊石(れいせき)が埋まっています。直径50cm前後の小さな円い石ですが、その根は地中どこまでも入りこみ、深くなるにしたがい大きさを増して極めるところを知らないといわれます。鹿島神宮にとって「要石」は、伊勢神宮の本殿床下の心(しん)の御柱(みはしら)のごとき存在だそうです。

よく語られる逸話には、水戸黄門で有名な「徳川光圀(とくがわみつくに)」が、実際に掘って確かめようと言い出し、人夫を集めて掘り下げさせましたが、7日間掘り続けても石の全体の姿はあらわにならなかったというものもあります。
「要石」が地中の「大鯰(おおなまず)」を押さえつけているために常陸地方には大きな地震がないのだと語り継がれて有名になり、巨大な鯰を押さえつける「鹿島大神(武甕槌大神)」は、「鯰絵(なまずえ)」の主要な登場人物になりました。
鯰絵は地震除けのお守りにもなり、絵にはしばしば
「揺るぐとも よもや抜けじのかなめいし 鹿島の神のあらんかぎりは」 という和歌が添えられました。

鹿島神宮は皇室、公家、武士にかぎらず広く人びとに尊崇されてきました。中世以降は、「源頼朝(みなもとのよりとも)」「徳川家康(とくがわいえやす)」など武将の崇敬を集め、「武神」としても仰がれるようになりました。周辺では武芸が盛んとなり、剣聖「塚原卜伝(つかはらぼくでん)」を生んでいます。
東京ドーム15個分に及ぶ広大な境内には、天然の巨樹が生い茂る森や、底が透き通って見えるほどの清らかな霊水が湧く「御手洗池(みたらしいけ)」があり、本殿や楼門などの国の重要文化財の建物がいくつも建っています。宝物殿には、国宝「直刀・黒漆平文大刀拵(ちょくとう・くろうるしひょうもんたちごしらえ)」、通称「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」が納められています。
鹿園もあり、奈良の「春日大社(かすがたいしゃ)」から譲り受けた鹿たちが暮らしています。Jリーグの「鹿島アントラーズ」のチーム名「鹿の枝角(antler)」は鹿島神宮の「神鹿(しんろく)」にちなみます。
◆祭頭祭(さいとうさい)

「祭頭祭(さいとうさい)」は、鹿島神宮の春の大祭です。奈良時代、九州の壱岐・筑紫・対馬を守るために旅立った防人(さきもり)たちが、無事に帰ったのを祝ったことが始まりという説があります。
祭りでは、3つの神事が執り行なわれます。
・「出陣の神事」(祭頭祭) 午前、大勢の参列者が見守るなか、狩衣姿の一軍の将「大総督(だいそうとく)」と当番地区の代表者らが拝殿前に参列し、玉串をあげます。「大総督」は前年の春季祭の当番卜定(ぼくじょう)後、字内より選ばれた3~6歳の男児で、「新発意(しぼち)」とも呼ばれます。
・「凱旋の神事」(祭頭囃) 午後、甲冑姿の「大総督」を先頭に、衣装を纏った囃人らが本陣(鹿島神宮近くの旅館など)を出発し、町内を勇壮に練り歩きます。
・「卜定(ぼくじょう)の神事」(春季祭):午後6時、町内の若衆によって「万灯」がともされ、「大豊竹(だいほうだけ)」が何度も叩きつけられて粉々になるまで打ち壊されます。一説には、大豊竹を稲穂に見立て、そこから無数の米が生まれることになぞらえた予祝行事だといわれています。そして、宮司が次年度の当番候補の地区の字名が入った紙片を釣り上げる「神占の義」が執り行なわれ、次年の当番地区が決定、地区の代表者らが祭頭囃を歌いながら神宮をあとにし、祭が終了します。

※3つの神事のうち、3月9日に「出陣の神事(祭頭祭)」、その次の土曜日に「凱旋の神事(祭頭囃)」と「卜定の神事(春季祭)」が行なわれます。ただし、9日が土日にあたる場合は、9日に3つの神事がすべて行なわれます。

祭りの見どころは、「凱旋の神事」の「祭頭囃(さいとうばやし)」です。15、6人の囃人がひと組となり、奈良時代風の唐服に似た伝来の装束をつけ、色鮮やかな五色のタスキをまとい、6尺の樫棒を組み合わせたりしながら随所で円陣を組み、馬簾や太鼓を勇ましく打ち鳴らします。
鹿島神宮
◇茨城県鹿嶋市宮中2306-1
◇JR「鹿島神宮駅」徒歩10分
◇高速バス「かしま号」(東京駅発)「鹿島神宮」下車
◇東関東自動車道「潮来IC」15分
◇公式サイト:https://kashimajingu.jp
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

二十四節気「啓蟄」も過ぎ、日差しがあたたかくなってきました。祭頭祭は鹿島地方に春を呼び、人びとの健康や豊作を祈るお祭りです。
9月の例祭では、12年にいちどの午年にのみ、「御船祭」(みふねまつり)が執り行なわれます。100隻近くの船団を組み、片道2時間の渡御を行なう絢爛豪華な水上祭です。鹿島大神の御霊を載せた船団が、水上に建つ「一の鳥居」をくぐって、香取市の水郷佐原、名勝「加藤洲(かとうず)」を目指します。同じく水路にてやって来た香取神宮の神職の船団に歓待を受けたあと、ふたたび鹿島へと戻ってきます。
令和8年(2026)は午年。御船祭が行なわれます。
筆者敬白







