■2月10日 菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)「御願神事(竹割まつり)」です。■

石川県の南西部、加賀國(かがのくに)の二ノ宮「菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)」は、通称「敷地天神」「菅生天神」とも呼ばれる式内社です。

御祭神として「日子穗穗出見命(ひこほほでみのみこと)」「豐玉毘賣命(とよたまひめのみこと)」「鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)」の3柱が祀られ、総称して「菅生石部神(すごういそべのかみ)」と呼ばれています。
境内には、「春日杜(大兒屋根命・径津主命・武甕槌神・姫大神)」「八幡社(応神天皇)」「白山社(菊理姫命)」「稲荷社(宇迦御魂命)」「事比羅社(大物主命)」「菅原社(菅原道眞公)」「藤森社(大國主命)」があり、病気平癒・身体健康・安産・学業成就・武運守護のご利益があると崇敬されます。
用明天皇元年(585)この地で疾病が流行した際、宮中で祀られていた「菅生石部神」が勧請されたのが始まりと伝わります。中世には、越前國(えちぜんのくに)三ノ宮、後に加賀國二ノ宮となり、京都の「北野天満宮(きたのてんまんぐう)」領として「天神信仰」が盛んでした。明治期には國弊小社に列せられました。
古来より正親町夫皇(おおぎまちてんのう)の頃まで、春秋年2回の「居入祭(おりいさい)」には勅使が参向し、御衣(おんぞ、おおんぞ)神宝(しんぽう、じんぽう)を奉るなど朝廷の崇敬篤く、木曽義仲(きそよしなか)、富樫昌家(とがしまさいえ)、足利義持(あしかがよしもち)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)、山口玄蕃(やまぐちげんば)といった名だたる武将に深く尊崇され、天慶3年(940)には正四位下の神階が授けられました。『平家物語』には、木曽義仲が「野美庄(のみのしょう)」を寄進したという記述も残ります。
◆御願神事(竹割まつり)

毎年2月10日、例祭「御願神事(ごんがんしんじ)」が行なわれます。治世にも乱を忘れないようにと、山幸彦(やまさちひこ)の「日子穗穗出見命」と、その兄で海幸彦(うみさちひこ)の「火須勢理命(ほすせりのみこと)」の神軍にならい、尚武(しょうぶ)の道を忘れぬための行事とされています。男たちが境内で激しく竹を打ち砕くことから「竹割まつり(たけわりまつり)」と呼ばれます。
幣殿にて例祭の神事が進められ、宮司の祝詞奏上が終わろうとする直前、拝殿前の盤木が強く連打され、境内に組み上げられた大きな篝火(かがりび)に火がともされ、紅蓮の炎が上へと渦巻きます。同時に、鳥居前に待機していた白装束の若衆が雪の境内になだれ込み、約400本の青竹を激しく打ち砕きます。2m余の青竹を激しく地面に打ち叩く姿は壮絶を極めます。
つづいて、大蛇になぞらえた長さ約20m、直径約25cmの大縄を拝殿から引きずり出して、境内境外を引き回し、最後に敷地橋の上から大聖寺川(だいしょうじがわ)へと投げ込みます。

伝わるところによると、大蛇退治が由来とされます。それに加えて、別当寺「慶雲寺」の正月の修正会、氏子たちが拝殿内で行なっていた年占(としうら)の行事などが合わさり、現在のような祭典になったと考えられています。割られた青竹は、見物の人びとが自由に持ち帰ります。この青竹で作った凧はよく上がり、箸にすれば歯の痛みも止まると伝わります。
菅生石部神社
◇石川県加賀市大聖寺敷地ル乙81
◇JR北陸線「加賀温泉駅」タクシー5分
◇JR北陸線「大聖寺駅」タクシー5分
◇北陸自動車道「片山津IC」「加賀IC」より10分
公式サイト:https://su5.jp







