■11月11日「世界平和記念日」です。■

大正7年(1918)11月11日、フランス北部、パリ北東にあるコンピエーニュの森に停車させた改造食堂車2419号車の車内で、マティアス・エルツベルガーを代表とするドイツ代表団が連合国軍との休戦協定に調印しました。

この日、開戦から4年余り、毒ガス兵器などの大量破壊兵器が初めて使用された「第一次世界大戦」はドイツ側の敗北により終結したのです。
◆第一次世界大戦の勃発
大正3年(1914)6月28日、ボスニアで、オーストリア=ハンガリー帝国皇太子のフランツ・フェルディナント大公が暗殺されました(サラエヴォ事件)。大公暗殺により、7月28日、オーストリア=ハンガリーがセルビアに宣戦布告をしたのが「第一次世界大戦」の始まりです。戦火は一挙に欧州全土へ拡大しました。
◆日英同盟の友誼

日本は、イギリスが参戦に尻ごみしたにもかかわらず、8月23日ドイツに宣戦を布告、第一次大戦のほぼ開戦と同時に参戦したのです。
日本の参戦理由は「日英同盟」の友誼(ゆうぎ:友達のよしみ)を理由にしたもので、「宣戦の詔勅(しょうちょく)」にも明示されていましたが、日英同盟では日本の参戦を義務づけるものではありませんでした。
◆ヴェルサイユ条約調印
大正8年(1919)6月28日にフランスのヴェルサイユで調印された「ヴェルサイユ条約」により、第一次世界大戦は正式に終了しました。

「ヴェルサイユ条約」は、その制定に際して「アジア・アフリカの解放」という大義名分が掲げられていましたが、事実上は戦勝国の賠償規定です。第一次世界大戦が過去に類を見ないほど悲惨な損害を生み出した戦争であったため、敗戦国、特にドイツに対する報復的な賠償条件を含む内容となっていました。
この賠償条件の過酷さが、結果的にドイツ国内でのナチス台頭の原因となり、昭和14年(1939)から始まる「第二次世界大戦」の遠因ともなってしまったことは、とても不幸な歴史だったといえます。
◆世界平和記念日
主戦場となったヨーロッパの各国は「戦うことは もうやめよう」と決め、第一次世界大戦を終えた「ヴェルサイユ条約」調印前の休戦協定調印日の11月11日を終戦の祝日として「世界平和記念日」に制定しました。
11月11日は、イギリスではポピー(ひなげし)の花を戦没者の象徴とする「戦没者追悼記念日」、フランスでは矢車菊を象徴とする「休戦記念日」として、ヨーロッパ各地で祝日や記念日になっています。
平成30年(2018)11月11日、第一次世界大戦の終結100周年記念式典がパリで開かれました。列席した各国首脳らを前に、フランスのマクロン大統領が「大戦後に誰もが平和を誓ったが、ナショナリズムの高まりが再び大戦を生んでしまった」「いままた”古い悪魔”(行き過ぎたナショナリズム)が目覚めつつある」と強い懸念を示しました。

上の写真は、式典に出席する(当時)トランプ米大統領、メルケル独首相、マクロン仏大統領、プーチン露大統領の様子です。このあと4年も待たず、令和4年(2022)2月24日、ロシアはウクライナへの軍事侵攻を開始しました。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
日本の大正年間の世界の歴史です。「集団的自衛権」についての議論ととてもよく似ていますし、第一次世界大戦があっという間にヨーロッパ中に広がった経緯とアジア圏での中国の台頭にも多くの共通点があるように思います。
歴史から学ぶことはとても多いですね。
季節の変わり目です。皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白







