2025.08.08
8月
記念日・~の日・~週間

令和7年(2025)8月15日「終戦記念日」です。

■8月15日「終戦記念日」です。■

昭和20年(1945)8月15日正午、昭和天皇自ら行なった「玉音放送(ぎょくおんほうそう)」によって「太平洋戦争(大東亜戦争/第二次世界大戦)の敗北宣言」を国民に伝える「大東亜戦争終結ノ詔書(だいとうあせんそうしゅうけつノしょうしょ:終戦の詔書)」がラジオに流れ、「ポツダム宣言の受諾と軍の降伏の決定」が伝えられました。

天皇の肉声を「玉音(ぎょくおん)」といいます。この日、天皇の肉声が初めてラジオで放送されました。敗戦と降伏が発表され、この日をもってアメリカとの戦争が事実上終了しました。

戦線で苦闘していた将兵たち、内地で空襲に焼かれ、衣類も食料もなく、それでも敵上陸に備えて竹槍を持たせられていた国民も、すべてがこれに聞き伏したのです。しかし、ラジオもなく新聞も配られない場所では、終戦を知るのは後のこととなります。

「無条件降伏」によって、空襲警報のサイレンの音、防空壕の暗く重苦しい空気、焼夷弾の降る恐怖から開放された国民は、「惟フニ 今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ 固ヨリ尋常ニアラス 爾臣民ノ衷情モ 朕善ク之ヲ知ル 然レトモ朕ハ 時運ノ趨ク所 堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ萬世ノ為ニ 大平ヲ開カムト欲ス」のとおり、「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」ながら、耐乏と空腹の毎日を生きていかなければなりませんでした。

この日を「終戦の日(しゅうせんのひ)」と呼び、昭和38年(1963)閣議決定により「全国戦没者追悼式(ぜんこくせんぼつしゃついとうしき)」が行なわれるようになりました。昭和57年(1982)には「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」とすることが決定されました。

アジア諸国では「日本からの開放記念日」、アメリカ・イギリスなどの連合国では「対日戦戦勝記念日」となっています。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

尖閣の領土問題など、激変する近隣諸国情勢を分析し手を打たないかぎり、このままでは、争いのない平和な日本のままではいられないかもしれません。韓国のねつ造された従軍慰安婦や強制徴用、中国での存在しない南京虐殺など、隣国との摩擦は解決の糸口が見えません。平和ボケせず、自国の領土は自ら守る姿勢を貫きたいものです。
終戦記念日は盆にあたることから、死者の霊を供養すべき日として日本人に意識されていますが、今いちど、終戦記念日の意味を考えてみてはいかがでしょうか。昭和、平成から令和に入り、かつて平和のために戦った英霊を、国民皆が崇敬できるような社会になってほしいものです。
筆者敬白

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