2025.05.20
5月

令和7年(2025)5月27~28日 福岡、筥崎宮(はこざきぐう)「さつき大祭」です。

■5月27~28日 福岡、筥崎宮(はこざきぐう)「さつき大祭」です。■

福岡市東区箱崎(はこざき)に鎮座する筑後国一宮「筥崎宮(はこざきぐう)」は、「応神天皇(おうじんてんのう=八幡大神)」を主祭神とし、「神功皇后(じんぐうこうごう=応神天皇の母)」「玉依姫命(たまよりひめのみこと=海の神、神武天皇の母)」を配祀する式内社(名神大社)で、「筥崎八幡宮」とも呼ばれます。宇佐神宮(うさじんぐう)、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)、あるいは鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)とともに「日本三大八幡宮」のひとつに数えられます。筑前国には一宮が2社あり、もうひとつが福岡市博多区住吉の「住吉神社(すみよしじんじゃ)」です。

筥崎宮の創建の時期については諸説ありますが、延喜21年(921)醍醐天皇(だいごてんのう)が神勅(しんちょく)により「敵国降伏(てきこくこうふく)」の宸筆(しんぴつ)を下賜され、筑前国穂波郡(現・飯塚市周辺)の「大分宮(だいぶぐう)」を玄界灘(げんかいなだ)に面した土地に移し、延長元年(923)現在の地に遷座したと伝わります。

かつては、筥崎宮のほど近く、博多湾に沿って白砂青松が2kmにわたって広がり、この一帯の松林は「千代松原(ちよのまつばら)」「十里松(じゅうりまつ)」などと呼ばれ、古くより神木と伝えられてきました。「はこざき(筥崎、箱崎)」という社名・地名は、応神天皇誕生のとき胞衣(えな)を箱に入れてこの地に埋め「しるしの松」を植えたという伝説に由来するといわれます。

「敵国降伏」の宸筆は、醍醐天皇以降の天皇も納めたとされ、筥崎宮は37葉の宸筆を第一の神宝(じんぽう、かむだから)としています。「楼門(ろうもん)」に掲げられた「敵国降伏」の扁額(へんがく)は、文永11年(西暦1274)「蒙古襲来(もうこしゅうらい)」により炎上した社殿の再興にあたり亀山上皇(かめやまじょうこう)が納めた宸筆を模写拡大したものです。「敵国降伏」とは、「武力で相手を降伏させる(覇道)ではなく、徳の力をもって導き、相手が自ずから靡(なび)き降伏するという、王道である我が国のあり方(真の勝利)」を説いています。

蒙古襲来の折り「神風(かみかぜ)」が吹いて未曾有の国難を乗り切ったことから「厄除・勝運」の神としても有名です。後世、足利尊氏(あしかわたかうじ)、大内義隆(おおうちよしたか)、小早川隆景(こばやかわたかかげ)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)など、名だたる武将が参詣し、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎました。

蒙古襲来時をはじめ幾度も社殿を焼失しましたが、そのたびに再建され、現在の拝殿・本殿は大内義隆が、楼門は小早川隆景が建立したもので、国の重要文化財に指定されています。

◆さつき大祭

「さつき大祭」は、日露戦争日本海海戦に勝利したのを記念したお祭りで、毎年5月27~28日に行なわれます。

5月27日は、日本海海戦記念日であります。この佳き日にあたり、日本海海戦の偉業を追憶し、わが国の隆昌と世界平和を祈念するとともに、健全な海洋思想の普及向上を期する目的で「日本海海戦記念大会」の奉祝行事を執り行います。海戦における数多くの彼我戦没者勇士の御霊をはじめ、産業・貿易・漁業の目覚ましい発展に伴い、その陰で尊い犠牲となられた、海洋殉難者の慰霊式も併せて行っております。また28日は氏子敬老祭を行います。(「筥崎宮」公式サイトより)

筥崎宮
◇福岡県福岡市東区箱崎1-22-1
◇市営地下鉄「箱崎宮前駅」徒歩3分
◇JR鹿児島本線「箱崎駅」徒歩8分
◇公式サイト:https://www.hakozakigu.or.jp

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