2025.04.08
4月

令和7年(2025)4月14~15日「日本三大美祭」飛騨・日枝神社「山王祭(春の高山祭)」です。

■4月14~15日 飛騨・日枝神社「山王祭(春の高山祭)」です。■

高山山王祭は岐阜県高山市城山に鎮座する「日枝神社(ひえじんじゃ)」(山王さま)の春季例大祭です。別名「飛騨山王宮日枝神社(ひださんのうぐうひえじんじゃ)」、祭神は「大山咋神(おおやまくいのかみ)」です。

永治元年(1141)、飛騨国三仏寺城(さんぶつじじょう)の城主である飛騨守平時輔(ひだのかみたいらのときすけ)が、狩りに出かけました。一匹の老狼を仕留めようと矢を射ましたが、獲物は見当たらず、矢は大杉に深くつき立っていました。

時輔は「大山咋神が、お使いである老狼を救われたものであろう」と神の力を感じ、鎮護神として近江国より「日吉大神」を勧請し、「日枝神社」としたと伝わります。この時の大杉が、日枝神社の大杉です。

養和元年(1181)、戦乱によって三仏寺城は落城し、日枝神社も焼失しました。御神体は無事で、慶長10年(1605)、日枝神社を「高山城(たかやまじょう)」の鎮護神とし、現在地へ移転し「山王権現宮」と呼ばれていました。明治2年(1869)、神仏分離令により「日枝神社」に改称。現在の本殿は昭和13年(1938)再建です。

◆日枝神社「山王祭(さんのうまつり)」――春の高山祭(たかやままつり)

春の日枝神社「山王祭(さんのうまつり)」と秋の桜山八幡宮(さくらやまはちまんぐう)「八幡祭(はちまんまつり)」を総称して「高山祭(たかやままつり)」といい、例年4月14~15日に開催されます。高山祭は、「京都祇園祭」「秩父夜祭」と並んで「日本三大美祭」に数えられます。

14、15両日、朝から「屋台曳き揃え(やたいひきそろえ)」が行なわれ、豪華絢爛な12台の「屋台」が並び、間近で鑑賞できます。

山王祭の特色のひとつがこの「屋台」と呼ばれる豪華な山車で、起こりは享保3年(1718)頃といわれます。春の山王祭に12台、秋の八幡祭に11台の屋台が曳き揃えられ、壮大な光景が人びとを圧倒します。焼失などでいくつかの屋台を失いましたが、「屋台組」と呼ばれる町内の人びとの懸命な支えにより今なお計23台の屋台が維持されています。

所定の場所に曳き揃えられた12台の屋台のうち3台で、午前と午後の1日2回、「からくり奉納」が披露されます。3台それぞれの出し物は個性的で、からくり人形の繊細かつ大胆な演技は見物の人びとを楽しませます。

14日の午後、神輿を中心にした祭り行列が日枝神社を出発し、祭礼区域を巡ります この行列を、春の山王祭では「御巡幸(ごじゅんこう)」、秋の八幡祭では「御神幸(ごしんこう)」と呼びます。祭礼区域では家々の前に提灯と和傘が飾られ、そのなかを獅子舞や雅楽、「闘鶏楽(とうけいらく)」、裃(かみしも)姿の警固(けいご)など、総勢数百名の大行列が進みます。

闘鶏楽は「鳥毛打(とりげうち)」ともいい、古く江戸時代より伝わる飛騨の神事です。鉦鼓(かねだいこ)を打ち鳴らす音から、地域の人びとは「カンカコカン」と呼びます。一文字笠に龍と鳳凰を染め抜いた「飛騨染め」の衣装を身に着け、鉦と締太鼓を打ちながら行進します。

14日夜、昼とは雰囲気を一変した「夜祭り」が行なわれます。およそ100個もの提灯を灯した各屋台が、夜闇の降りた町をゆっくりと巡り、「高い山」という曳き別れ歌を歌いながら各屋台蔵へと帰っていきます。美しく幻想的にゆらめく光の景色が見物客をファンタジックな世界へと誘います。

日枝神社
◇岐阜県高山市城山156
◇高山本線「高山駅」徒歩25分
◇「日枝神社前」バス停から徒歩5分
◇公式サイト:https://hiejinja.com
◆飛騨高山観光公式サイト:https://www.hidatakayama.or.jp

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

「屋台」と呼ばれる山車が見事な春の山王祭です。見どころは「夜祭り」です。提灯をつけた屋台のゆらゆらとゆらめくさまはとても幻想的です。
4月中旬で暖かい日が続きます。お出かけの際には、夜露にあたってお風邪などお召しにならないよう、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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