■12月31日「年越し」です。■
「年越し」とは、大晦日から元旦までのあいだ、またはそのあいだの行事のことをいいます。年越しの境目は「除夜(じょや)」となります。
「除夜」は、「年神(としがみ、歳神)」を迎えるため心身を清め、ひと晩中起きているのが習いでした。昔は、年神を迎える神聖な「物忌み」の夜として、この夜、早く寝ると白髪になるとか、シワが寄るとかいわれていました。
青森県の上北部では、眠らずに元旦を迎える「尻枕(けつまくら)」という習わしが残っているそう。家中で炉の周りに集まり、年の順に人のお尻を枕にして寝るというもの。また、青年たちが除夜の鐘を合図に裸で海に飛び込むというのも、一年の穢れを落として、年神を迎えるための禊(みそぎ)です。
全国的に年越しには酒や餅などを先祖に供え、御節(おせち)などで特別な食卓につく風習があります。地方によっては麦飯や鶫(つぐみ)、樫鳥(かしとり)を食べる風習も残っています。鶫は「継身を祝う」の意。樫鳥は「貸し取り」の意で、上手にお金が取れるといわれ、商家、両替商・金融業のひとが食しました。
「年越し蕎麦」もそのひとつで、大晦日の晩に家族みんなが寄り集まって、蕎麦を食べながら年を越す習慣です。起源は定かではありませんが、もともと江戸中期には毎月末に「そば切り」を食べる習慣がありました。蕎麦を食べるのは、蕎麦がよく伸びることから、命を延ばし財産を延ばすことに通じるという語呂で縁起を担ぐものです。蕎麦が五臓の汚れを取るというので無病息災を祈願する意味もあります。
元来、そば粉は「そばがき」のかたちで食すのが普通でした。粘着力があるので江戸の職人たちは大晦日の大掃除にはそばを練って「そば団子」を作り、それで部屋の隅々の小さなゴミやホコリを取っていたそうです。
そば団子は、とりわけ金銀細工を生業にしている人たちに珍重されました。飛び散った金粉銀粉をそば団子で掻き集め、その団子を七輪や火鉢の上で焼いて灰にすると、金や銀の粉だけが残ります。ここから「蕎麦は金を集める」という諺も生まれたほどです。
「大晦日(おおみそか)」とは、一年最後の「晦日(みそか)」で、12月31日のこと。毎月の晦日を「つごもり」ともいい、大晦日は「おおつごもり」ともいいます。
大晦日定なき世の定かな ―― 西鶴
かつての江戸や明治時代の東京では、大晦日のこの日、朝早くから夜遅くまで人通りも多く活気がありました。あちこちに「歳の市」が立ち、商屋では「新しいのれん」に掛け替え、暗くなれば軒提灯や高張提灯を出して、夜遅くまで商いを続けました。歳の市には露店が並び、南天や福寿草などの植木も売られていました。そして、町中を借金取りが駆け回ったそうな。宮中では、大晦日には「節折り(よおり)の式」「大祓」「除夜祭」が執り行われ、神社では「大祓(おおはらえ)」の神事が行われます。