2024.10.27
11月
国民の休日

令和6年(2024)11月3日「文化の日(旧明治節)」です。

■11月3日「文化の日(旧明治節)」です。■

「文化の日」は、戦前には「明治節(めいじせつ)」と呼ばれていました。昭和前期の日本の祝祭日(休日)で、明治天皇の誕生日四大節〔※〕のひとつです。「国民の祝日に関する法律(祝日法)」によると、「文化の日」は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としています。

昭和21年(1946)11月3日に「日本国憲法」が公布されたことにちなんで、祝日法で「文化の日」と定められました。「日本国憲法」は、公布から半年後の昭和22年(1946)5月3日に施行されたので、5月3日が「憲法記念日」として国民の祝日になりました。

明治時代には「文化の日」は「天長節(明治天皇の誕生日)」で、明治6年(1873)の改暦で新暦に換算した11月3日に定められました。大正時代末期に明治天皇の誕生日である先帝祭「明治節」の請願運動が起こり、2万人の署名が帝国議会に上げられ、昭和2年(1927)「休日ニ関スル件」が改正されて、11月3日が「明治節」に設定されました。

敗戦後昭和23年(1948)の祝日法によると「文化の日」は、このような背景や経緯と関係なく定められたということになっていますが、当時の国会答弁や、憲法制定スケジュールの変遷から、「明治節」の日に憲法公布を合わせて記念日にしたとも推察できます。

一方、昭和23年の祝日法制定当時、参議院文化委員長の山本勇造(作家の山本有三)が、政界引退後に著した回顧録「文化の日ができるまで」によると、憲法発布は11月1日の予定でしたが、憲法施行日が「メーデー」と重なるという理由で、直前に11月3日に変更されたようです。帝国議会が11月3日を「憲法記念日」とすることを主張しましたが、当時のGHQが強力に反対し、新憲法施行日の5月3日を「憲法記念日」とすることに同意したところ、GHQから「憲法記念日でない記念日とするならいい」と持ち出してきたとあります。戦後になり議会関係者が「明治節」の11月3日を残すために腐心したことが窺えます。

この日、皇居で文化勲章の親授式が行なわれます。科学技術や芸術などの分野で文化の発展にめざましい功績をあげた人に、橘の花の中央に三つ巴の勾玉を配した勲章が贈られます。また、「文化の日」を中心に、文化庁主催による芸術祭が開催されます。

ちなみに、この日は晴天になる確率が高く、「晴れの特異日」として有名です。

※四大節:紀元節(神武天皇の即位日)、四方節(1月1日:皇室で四方拝行事)、天長節(現在の天皇誕生日)、明治節(文化の日:明治天皇の誕生日)。

この記事をシェアする
   

関連記事

人気のタグ

  • その他人気タグ: