■9月27日 小田原、最乗寺(さいじょうじ)「例大祭」です。■
神奈川県南足柄市にある曹洞宗大雄山「最乗寺(さいじょうじ)」の本尊は「釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)」。脇侍仏として、「文殊菩薩(もんじゅぼさつ)」「普賢菩薩(ふげんぼさつ)」を奉安します。開創以来600年の歴史を持つ関東の霊場として知られます。
開山の「了庵慧明禅師(りょうあんえみょうぜんじ)」は、相模国大住郡糟谷(おおすみぐんかすや)の庄(現在の神奈川県伊勢原市)に生まれました。地頭の職にあった了庵は、戦国乱世の虚しさを感じ、曹洞宗の僧「不聞禅師(ふもんぜんじ)」について出家。能登の總持寺(總持寺祖院)、摂津の永澤寺(ようたくじ)、近江の總寧寺(そうねいじ)、越前の龍泉寺(りゅうせんじ)、能登の総持寺妙高庵(みょうこうあん)など「通幻禅師(つうげんぜんじ)」の後席すべてに住持し、「大本山總持寺(そうじじ)」に輪往。50才半ばで相模国に帰り、曽我の里(そがのさと)に「竺圡庵(ちくどあん)」を結びます。
ある日、一羽の大鷲が禅師の袈裟を掴んで「足柄(あしがら)」の山中に飛び、大松の枝に掛けるという奇端を現じました。この啓示によって應永元年(1394)、足柄山中に大寺を建立、「大雄山(だいゆうざん)」と号しました。
◆天狗伝説
大雄山最乗寺の守護神「道了(どうりょう)尊者」は、大和金峰山(きんぷせん)、奈良大峰山(おおみねさん)、熊野三山(くまのさんざん)に修行した行者で、「道了大権現」「道了大薩埵(どうりょうだいさった)」「小田原道了薩埵」「道了尊」などとも呼ばれています。大雄山開山の折り、尊敬する了庵禅師のもとに馳せ参じて土木の業に従事。約1年で大事業を完遂し、その力量は500人分にあたるとか。
道了尊者は、師匠の了庵禅師が最乗寺を建立することを聞き、近江の「三井寺(みいでら、園城寺)」から天狗の姿になって飛んできて、神通力を使って谷を埋めたり、岩を持ち上げて砕いたりして寺の建設を手伝ったと伝わります。三井寺の本堂・金堂の向かいに、樹齢千年といわれる樹高20mの杉の木があり、「天狗杉(てんぐすぎ)」と呼ばれています。天狗となった道了がこの杉の上から了庵のもとへと飛び立ったという伝説が残っています。
そして了庵禅師がこの世を去ると、寺を永久に護るため道了尊者は天狗の姿に化身して舞い上がり、山中深くに飛び去ったといわれ、以来、寺の守護神として祀られています。境内いたるところに、一本歯の赤い高下駄や九葉の羽団扇(はねうちわ)、大天狗・小天狗の石像など、天狗にまつわるものが奉納されています。
道了尊者は「十一面観世音菩薩の化身」であるとされ、道了権現信仰は「道了講」として組織されて、今も関東を中心に多くの人が信仰しています。最乗寺では、正月・5月・9月に大祭が行なわれます。
大雄山最乗寺
◇神奈川県南足柄市大雄町1157
◇伊豆箱根鉄道大雄山線「大雄山駅」バス10分
◇東名高速道路「大井松田IC」20分
◇公式サイト:https://daiyuuzan.or.jp
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
最乗寺は、曹洞宗において永平寺・総持寺に次ぐ大寺院で、地元の人々から「道了さん」と呼ばれ親しまれています。大祭が年に3回あります。
季節の変わり目です。お出かけの際には、お体ご自愛専一の程
筆者敬白