■8月15日「終戦記念日」です。■
昭和20年(1945)8月15日正午、「昭和天皇の玉音放送」による「太平洋戦争(大東亜戦争/第二次世界大戦)の敗北宣言」を国民に伝える「終戦詔書」がラジオに流れ、「ポツダム宣言の受諾と軍の降伏の決定」が伝えられました。
天皇の肉声を「玉音」と言います。この日、天皇の肉声が初めてラジオで放送されました。敗戦と降伏が発表され、この日をもってアメリカとの戦争が事実上終了しました。戦線で苦闘していた将兵たち、内地で空襲に焼かれ、衣類も食料もなく、それでも敵上陸に備えて竹槍を持たせられていた国民も、すべてがこれに聞き伏したのです。
しかし、ラジオもなく新聞も配られないところでは、終戦を知るのは後のこととなります。空襲警報発令のサイレンの音、防空壕の暗く重苦しい空気、焼夷弾の降る恐怖から開放された「無条件降伏」による戦後の国民の生活は、終戦の勅語
『惟フニ 今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ 固ヨリ尋常ニアラス 爾臣民ノ衷情モ 朕善ク之ヲ知ル 然レトモ朕ハ 時運ノ趨ク所 堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ萬世ノ為ニ 大平ヲ開カムト欲ス』
の「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び以て萬世の為に…」のとおり、耐乏と空腹の毎日を強いられたのでした。
この日を「終戦日」と呼び、昭和38年(1963)閣議決定により「全国戦没者追悼式」が行われるようになり、昭和57年(1982)には「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」とする事が決定され、再び過ちを繰り返さないよう戦没者に誓っています。
終戦記念日は盆にあたることから、死者の霊を供養すべき日として日本人に意識されていますが、今いちど、終戦記念日の意味を考えてみてはいかがでしょう。
アジア諸国では「日本からの開放記念日」、アメリカ・イギリスなどの連合国では「対日戦戦勝記念日」となっています。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
昭和、平成から令和に入り、平和のために戦った英霊を、国民皆が崇敬出来るような社会になってほしいものです。今年は自国は自国で守るといった政府の姿勢です。平成の時代にはオバマ大統領の広島訪問もあり、本来の国のあり方に近づいたように感じます。
ロシアのウクライナ侵攻、中国のアジアでの領海争い、日本では尖閣の領土問題など、激変する近隣諸国情勢を分析し手を打たないかぎり、このままでは、争いのない平和な日本のままではいられないかもしれません。
また、韓国のねつ造された従軍慰安婦や強制徴用、中国での存在しない南京虐殺など、隣国との摩擦は解決の糸口が見えません。いつまでも平和ボケせず、自国の領土は自ら守る姿勢を貫きたいものです。
筆者敬白