■8月10日「西鶴忌」です。■
「井原西鶴(いはらさいかく)」は、『好色一代男』などで知られる江戸時代の浮世草子の創始者で人形浄瑠璃の作者です。本名は平山藤五(ひらやまとうご)。井原は母方の姓。別号は鶴永・二万翁。
晩年に名乗った「西鶴」は、5代将軍徳川綱吉が娘の鶴姫を溺愛するあまりに出した「鶴字法度(:庶民が「鶴」の字を使用するのを禁じた)」に因んでいます。
寛永19年(1642)大阪生まれ。15歳の頃から文芸の道を歩み始め、家業を他人に任せて諸国を渡り歩き、天和2年(1682)小説の第一作『好色一代男』が出版され好評で、江戸でもベストセラーとなり、草子作家としての地位を獲得しました。
西鶴の「浮世草子(うきよぞうし)」は、町人物・好色物・武家物に分けられます。西山宗因(にしやまそういん)に師事して俳諧を学び、速吟軽口の俳風から「阿蘭陀流(オランダ流)」「放埒(ほうらつ=不品行さ)抜群」などとからかわれました。
「浮世」には「世間一般」という意味と「色事」「好色」といった意味があります。遊里や金銭を主な題材として町人生活をリアルに描き、娯楽性のある浮世草子を確立しました。
西鶴は経営学の師としても評価されています。越後屋は突然の雨に備えて番傘(ばんがさ)を店に置き、顧客に貸し出します。その傘には「越後屋:◯番」と通し番号が書かれています。顧客は傘を借りて帰る道すがら「越後屋」の宣伝をしてくれるし、傘を返しに行けば再度顧客になる可能性も高まります。以来「番傘」は通称となりました。西鶴の素晴らしい知恵と才覚です。
元禄6年(1693)8月10日、大坂鑓屋町の草庵にて没。52歳。その辞世は「人間五十年の究り、それさへ 我にあまりたるに、ましてや 浮世の月 見過ごしにけり未二年」とあります。
西鶴の菩提寺は大阪市中央区の「誓願寺(せいがんじ)」。令和5年(2023)は井原西鶴没後330年にあたり、誓願寺では9月10日、墓前で供養を行ない、本堂では記念講演が開かれました。
大阪 四弘山 誓願寺
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