■7月24日「河童忌」です。■
「河童忌(かっぱき)」とは、芥川龍之介の命日で、最晩年の作の小説『河童』に因んで付けられたもの。俳号の「我鬼」から「我鬼忌(がきき)」とも。
東京市京橋区入船の牛乳屋の長男として生まれました。生後7ヶ月頃に母が発狂したため、母の実家「芥川家」にあずけられ、母の死後に芥川家の養子になります。
芥川家は、代々徳川家に仕え、茶の湯を担うお数寄屋坊主の家です。龍之介という名前は、辰年・辰月・辰日・辰の刻に生まれたことに由来するそう。
作品の多くは短編で、『羅生門』『鼻』『芋粥』『藪の中』『地獄変』『歯車』など、『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』などの古典を題材としたものが多いですが、西洋の文学を和訳したものもあります。『蜘蛛の糸』『杜子春』など児童向けの作品も書かれ、俳句にも興味を持ち、漢文にも通じていました。また、アフォリズム(箴言(しんげん))の制作も得意としていました。
「唯ぼんやりした不安」を理由に、昭和2年(1927)7月24日、多量の睡眠薬を服用して現世に別れを告げます。
死の8年後、親友で文藝春秋社主の菊池寛が、芥川の名を冠した新人文学賞「芥川龍之介賞」を設けました。芥川賞は直木賞と並ぶ文学賞です。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
芥川龍之介の遺書は、妻・文、菊池寛、小穴隆一に宛てた手紙があります。自殺の動機として「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」は一般的にも有名です。
死の前日、芥川は近所に住む室生犀星を訪ねたのですが、犀星は上野に出かけていて留守でした。犀星は「もし私が外出しなかったら、芥川君の話を聞き、自殺を思いとどまらせたかった」と、悔やんでいたといいます。
一時期より減ったとはいえ年間自殺者2万人の時代。芥川流にいう「ぼんやりした不安」は現代にこそ蔓延しているといえます。(編集後記は筆者の単なる推量にすぎません)
筆者敬白