■6月10日(旧暦5月5日)「旧端午」です。■
「端午(たんご)」は五節句のひとつで旧暦5月5日のことで、男子の節句とされています。旧暦では「午(うま)の月は5月」にあたります。この「午の月」の「最初の午の日」のことを「端午(たんご)」といいました。また、端午は「午(ご)」は「五(ご)」と同じ音です。これは、毎月上旬の5日の意も含まれていて「午月の初めの5の日」のことを指します。これを「節句」として祝っていたものが、のちに「5が重なる5日」が端午の節句の日になりました。
同じように、奇数の「月と日」が重なる3月3日、7月7日、9月9日も節句になっています。
◆端午の始まり◆
端午の習慣は、3世紀の中国で始まったとされています。中国ではこの日「邪気を祓い健康を祈願する日」とされ、野に出て薬草を摘んだり、蓬(よもぎ)で作った人形を家の戸口に飾ったり、菖蒲酒を飲んだりして邪気を祓う行事が行なわれます。
蓬や菖蒲は邪気を払う作用があると考えられていて、現代の日本においても菖蒲や蓬を軒に吊るしたり菖蒲湯に入る風習が残っています。
◆端午の伝来◆
日本には平安時代に伝わり、貴族の間から次第に民間へと普及していきました。菖蒲や蓬を軒に吊るしたり、ちまきや柏餅を食べてお祝いをします。
宮中では、菖蒲を髪飾りにした人々が武徳殿に集い、天皇から「薬玉(くすだま=薬草を丸く固めて飾りを付けたもの)」を賜りました。
やがて武家社会に入り「菖蒲」と「尚武」が同音であることなどから、雛節句と対照的に男子の節句となっていきました。男子のいる家で鯉のぼりを立て、甲冑・刀・武者人形を飾り、子どもの成長を祝うようになったのは、江戸時代以降のことです。
端午の日に「粽(ちまき)」や「柏餅(かしわもち)」を食べる風習は、中国戦国時代の楚の愛国詩人「屈原」の命日(5月5日)に屈原を慕う人々が、汨羅江(べきらこう)に粽を投げ入れて供養したことが始まり。また、屈原の亡骸を魚が食らわないようにしたものが「ちまき」の由来とされます。
「柏餅」を食べる風習は日本独自のもの。柏は、新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」という縁起物として広まりました。
中国では現在も屈原を助ける為に船を出したことに因んで「龍船節」の祝いとして、手漕舟(龍船あるいはドラゴンボート)の競漕が行われます。
◆さつき忌み◆
日本では古くから5月を「悪月(あしげつ)」と称して物忌み月でした。田植えの頃に、早乙女が家に籠って身を清め、田の神を迎え祀るといった神事があり、これを「さつき忌み」と呼んでいました。田植えをする早乙女とは、若い女性のことです。若い女性が穢れを祓い身を清めたのですから、「端午」はもともと女性の節句だったといえます。
5月の節句は、日本古来の「さつき忌み」と、中国から伝来した「端午の節句」が一緒になったものです。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
旧暦5月5日は「旧端午」です。
今年も暑い夏になるだろうとのこと。皆様、お体ご自愛専一の程。
筆者敬白