■3月22~24日 奈良、法隆寺「お会式(おえしき)」です。■
聖徳宗(しょうとくしゅう)の総本山「法隆寺(ほうりゅうじ)」は、日本仏教興隆の祖・聖徳太子(しょうとくたいし)が創建した寺院です。別名「斑鳩寺(いかるがでら)」とも。
用明天皇が自らの病気平癒を祈って寺と仏像を造ることを誓願。しかし、その実現を見ないままに崩御しました。推古天皇と聖徳太子が遺願を引き継ぎ、推古15年(607)に寺とその本尊「薬師如来(やくしにょらい)」を造ったと伝わります。
金堂、五重塔などがある「西院(さいいん)」と、夢殿(ゆめどの)などのある「東院(とういん)」に分かれ、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群です。飛鳥時代の姿を現在に伝える法隆寺の建築物群は、法起寺(ほうきじ)とともに「法隆寺地域の仏教建造物」として、平成5年(1993)ユネスコ世界文化遺産に登録されました。
■お会式(おえしき)
「お会式(おえしき)」は、夢殿が建立された後の天平20年(748)頃に始まり、毎年3月22~24日に行われます。これは、聖徳太子の命日法要で、その遺徳をたたえ、供養します。
毎年行われる聖霊院(しょうりょういん)の法要は「小会式(しょうえしき)」といい聖霊院で行なわれ、10年に1度、大講堂で「大会式(だいえしき)」が行なわれます。お会式では「山」と呼ばれる独特の供物が捧げられます。雅楽の流れる中、寺僧たちが「訓迦陀(くんかだ)」と呼ばれる仏の徳をたたえる「声明(しょうみょう)」を唱え、太子の徳を讃嘆します。
■聖徳太子(しょうとくたいし)
「聖徳太子」は、用明天皇の第二皇子。母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)。本名は「厩戸(うまやど)」で、厩戸の前で出産したことによるとの説と、生誕地の付近の厩戸という地名から名付けられたという説があります。
別名「豊聡耳(とよさとみみ)」「上宮王(かみつみやおう)」とも。『古事記』では「上宮之厩戸豊聡耳命」と表記されます。『日本書紀』では「厩戸皇子」のほかに「豊耳聡聖徳」「豊聡耳法大王」「法主王」と表記多数。
聖徳太子という名は平安時代から広く用いられ、一般的な呼称となりましたが、後世に付けられた尊称(追号)であるという理由から、近年では「厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)」「厩戸王(うまやとおう)」の呼び方に変更しているものもあります。
法隆寺
◇奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
◇JR「法隆寺駅」徒歩20分、バス「法隆寺門前」下車すぐ
◇近鉄「筒井駅」よりバス「法隆寺前」下車徒歩5分
◇公式サイト:http://www.horyuji.or.jp
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
奈良県といえば、ゆるキャラの代表格「せんとくん」も生まれた平城京遷都1300年祭が平成22年(2010)に大々的に開催されました。現在でも法隆寺近くには1300年祭のなごりが見受けられます。お会式を機会に歴史に触れてみましょう。
「春分」を過ぎ、暖かさを感じます。
季節の変わり目です。お体ご自愛専一の程
筆者敬白