■3月18~23日 石川、気多大社「平国祭(おいで祭り)」です。■
能登国一宮「気田大社(けたたいしゃ)」は、大己貴命(おおなむちのみこと=大国主神)を祀る旧国幣大社で、旧称「気多大神宮」。正式には「氣多大社」。本殿左右に若宮神社と白山神社があります。
大己貴命が出雲から舟で能登に入り、国土を開拓したのち、守護神として鎮まったと伝わります。崇神天皇のときに社殿が造営されました。
奈良時代には「北陸の大社」として京にも名が伝わり、『万葉集』には、越中国司として赴任した大伴家持(おおとものやかもち)が気多大社に参詣した際には、「之乎路から直越え来れば羽咋の海朝凪ぎしたり船楫もがも」〔※〕と歌に詠んでいます。
※之乎路(しおじ)から直越え来れば羽咋(はくい)の海朝凪ぎしたり船楫(ふねかじ)もがも:「志雄街道をまっすぐに越えて来ると、羽咋の海は朝なぎしている。舟と櫓が欲しいものよ」。志雄(しお)は、かつて石川県の中央部、羽咋郡(はくいぐん)にあった町で、日本海に面していた。この「羽咋の海」は、千里浜海岸(ちりはまかいがん)といわれている。羽咋市南部から宝達志水町今浜にかけての海岸およそ8km。日本で唯一波打ち際を走ることができる砂浜として有名。
前田利家をはじめ、歴代の藩主が崇敬し、社領三百五十石を寄進。祈願祈祷はもとより、しばしば社殿の造営がなされ、そのうち本殿、拝殿、神門、摂社若宮神社、摂社白山神社は国の重要文化財に指定されています。
また、加賀藩が保護した社叢には「奥宮」が鎮座しています。宮司のほかは何人も立ち入ることのできない聖域で「入らずの森」と呼ばれています。樹齢数百年にもなる広葉樹が自生する原生林は希少で、昭和42年(1967)国の天然記念物に指定されました。昭和58年(1983)5月、行幸された昭和天皇は、「斧入らぬみやしろの森めづらかにからたちばなの生ふるを見たり」と詠まれ、「入らずの森」を「斧入らぬみやしろの森」と表されました。
◆平国祭(おいで祭り)
「平国祭(へいこくさい)」は石川県七尾市の所口町にある気多本宮へ渡御する大規模な神幸祭です。神が民衆の中においでになり一体となる能登の春祭りとして、地元では「おいで祭り」と呼ばれています。「寒さも気多のおいでまで」という言い習わしからも、土地の生活に根付いた祭りであることが伺えます。
3月18日から23日まで、羽咋・鹿島郡内の2市5町を回ります。沿道に人びとが集まり神輿を迎えるなか、長い行列が早春の能登路を巡行します。
能登國一宮 氣多大社
◇石川県羽咋市寺家町ク1-1
◇JR七尾線「羽咋駅」より北鉄バス「一ノ宮バス停」下車、徒歩5分
◇北陸自動車道~のと里山海道「柳田IC」10分
◇公式サイト:https://keta.jp
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
石川県能登の春祭りです。「暑さ寒さも彼岸まで」ならぬ「寒さも気多のおいでまで」とはローカル色豊かな表現です。おいで祭りの期間中に「春分」を迎えます。本格的な春はこれからです。
季節の変わり目です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白