2024.03.09
3月

令和6年(2024)3月13日(旧2月4日) 鹿児島、霧島神宮「御田植祭(おたうえまつり)」です。

■3月13日(旧2月4日) 鹿児島、霧島神宮「御田植祭(おたうえまつり)」です。■

「霧島神宮(きりしまじんぐう)」は、延喜式に「日向国諸県郡霧島神社」と記され、霊峰「高千穂峰(たかちほのみね)」を背後に鎮座します。
御祭神は「天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊(あめにぎしくににぎしあまつひたかひこほのににぎのみこと)=瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」で、相殿に「嫡后:木花咲耶姫尊(このはなさくやひめのみこと)」「御子:彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」「嫡后:豊玉姫尊(とよたまひめのみこと)」「御孫:鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)」「嫡后:玉依姫尊(たまよりひめのみこと)」「御曽孫:神倭磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)=神武天皇(じんむてんのう)」を祀ります。

本宮は高千穂峰と御鉢火山(おはちかざん)の噴火口との中間、「脊門丘(せとお)」にありましたが、幾度の噴火で炎上し、土御門天皇の文明16年(1484)に現在の地に再建され、現在の社殿は、正徳5年(1715)時の藩主・島津吉貴公の寄進によるものです。国の重要文化財指定。令和4年(2022)には本殿・幣殿・拝殿が国宝に指定されました。

明治の神仏分離令が発令されるまでは「西御在所霧島権現」と称し、本地堂は十一面観音。霧島山を中心とした修験僧による「霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん)」〔※〕信仰の中心的役割を果たしていました。

◆高千穂峰(たかちほのみね)

高千穂峰は宮崎県と鹿児島県の県境に位置する火山(標高1,574m)で、霧島連峰(きりしまれんぽう)のひとつ。海抜500mの霧島神宮の展望台からは、はるか錦江湾(きんこうわん=鹿児島湾)、桜島、開聞岳(かいもんだけ)の眺望が実に雄大。高千穂峯頂上には、神代の旧物「天逆鉾(あめのさかほこ、あまのさかほこ)」〔※〕が突き立てられ、中岳、新燃岳、韓国岳一帯は九州に自生するツツジ「ミヤマキリシマ(深山霧島)」で有名です。

「記紀」には、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が「筑紫日向の高千穂の久土流多気に天降ります-『古事記』」、「日向の襲の高千穂峯に天降ります-『日本書紀』」と記され、「天孫降臨(てんそんこうりん)」〔※〕の舞台といわれてます(宮崎県北部、西臼杵郡の「高千穂峡(たかちほきょう)」とする見方もあります)。

天照大神は、孫の瓊瓊杵尊に「高天原から降りてこの国を治めよ」と命令。瓊瓊杵尊は「三種の神器」〔※〕を譲り受け、7人のお供の神と1人の道案内(猿田彦命)〔※〕の神と共に高千穂の峰に降り立ちました。これが天孫降臨の神話の由来です。霧島神宮はこの瓊瓊杵尊を祀ります。

◆御田植祭(おたうえまつり)

「御田植祭」は特殊神事のひとつで、旧暦2月4日に奉納されます。境内を田に見立てて耕し、縁肥になる刈敷(かりしき)を入れ、種まきや田植えまでを模擬的に行う春祭りです。

本殿の前の四方に忌竹(いみだけ:穢れを防ぐために斎場の四方に竹を立て、そこが聖域であることを示す)を立て、注連縄を引き回して御祭殿を作ります。五穀豊穣を祈願する神事「田の神舞(たのかみまい)」が奉納されたあと、すげがさに白装束の早乙女・早男姿の氏子たちと地元の小学生が約50アールの水田に田植えを行います。

田の神舞は、ジイ(爺、おきな)、バジョ(婆)、牛、田の神などが登場する五穀豊穣の舞です。決まった家の者が古くから伝わる面を付けてそれぞれの役を演じます。洗練された形式の舞であると同時にユーモラスな農耕劇として評価され、県の無形民族文化財に指定されています。

※霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん):霧島山(きりしまやま)を囲むようにして、霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん)と総称される6つの神社のこと。「霧島六所権現(きりしまろくしょごんげん)」ともいう。村上天皇の時代に、霧島山などで修験道の修業を行った性空(しょうくう:平安時代の天台宗の僧)によって整備された。もともと霧島山そのもの信仰対象とする山岳信仰で、霧島山を道場とする修験者の拠点だった。

※天逆鉾(あめのさかほこ、あまのさかほこ):日本の中世神話に登場する矛(ほこ)。一般的に記紀に登場する天沼矛(あめのぬぼこ)の別名とされる。高千穂峰山頂部にある「日本三奇」のひとつ。性空上人の流れをくむ修験者が置いたものではないかという説もある。新婚旅行で訪れた坂本龍馬が、この鉾を引き抜こうとしたというエピソードも有名。現在残っているものはレプリカで、オリジナルの柄の部分は地中に残っている。

※天孫降臨(てんそんこうりん):‎‎天孫(天照大御神の孫のこと)の瓊瓊杵尊が、高皇産霊尊(たかみむすび/別天津神・造化三神のうちの1柱)の意向と天照大御神の神勅(しんちょく)を受けて葦原中津国(あしはらのなかつくに)を治めるため、高天原(たかまがはら、たかまのはら)から日向の高千穂の地へあまくだったこと。
瓊瓊杵尊は天照大御神から授かった「三種の神器」〔※〕をたずさえ、天児屋根命などの神々を連れて、高天原から地上へと向かった。途中、猿田彦神(さるたひこのかみ)〔※〕が道案内をした。

※三種の神器(みくさのかむだから、さんしゅのしんき(じんぎ、しんぎ)):天孫降臨の時に、瓊瓊杵尊が天照大御神から授けられたという鏡・玉・剣のこと。
・八咫鏡(やたのかがみ)
・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
・草那芸之大刀(くさなぎのたち)

※猿田彦神(さるたひこのかみ):瓊瓊杵尊が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた:道がいくつもに分かれている所)に立って高天原から葦原中津国までを照らす神がいた。その神の鼻の長さは七咫(ななあた)背(そびら)の長さは七尺(ななさか)目が八咫鏡のように、また赤酸醤(あかかがち:「ほおずき」の古名)のように照り輝いているという姿だった。
そこで天照大御神と高皇産霊尊は天鈿女命(あめのうずめのみこと)に、誰であるか行って尋ねるよう命じた。その神は国津神(くにつかみ:地(葦原中津国)に現れた神)の猿田彦神で、瓊瓊杵尊らの先導をしようと迎えに来たと話した。瓊瓊杵尊らが無事に葦原中津国に着くと、瓊瓊杵尊は、天鈿女命にその名を明らかにしたのだから猿田彦神を送り届けて仕えるようにと言った。そこで天鈿女命は「猿女君(さるめのきみ)」と呼ばれるようになった伝わる。猿田彦神は故郷である伊勢国の五十鈴川の川上へ帰ったとある。

霧島神宮
◇鹿児島県霧島市霧島田口2608-5
◇JR「霧島神宮駅」より車で約15分
◇「霧島神宮前」バス停より徒歩約1分
◇鹿児島空港から車で約40分
◇霧島神宮Web:https://kirishimajingu.or.jp

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

霧島市の市の花はミヤマキリシマ。植物学者の牧野富太郎が新婚旅行で霧島を訪れた際に発見し、「深い山に咲くツツジ」という意味で「深山霧島(ミヤマキリシマ)」と名付けました。淡いピンク色の小さめの可憐な花が特徴です。5月から6月には九州の山々をいろどります。
皆様お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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