2024.01.23
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令和6年(2024)1月27日「国旗制定記念日」です。

■1月27日「国旗制定記念日」です。■

日本の国旗は「日の丸」と呼ばれますが、正式な名称は「日章旗(にっしょうき)」です。

国旗及び国歌に関する法律(平成11年(1999)8月13日公布・即日施行)では、第1条「国旗は日章旗とする」、第2条「国歌は君が代とする」とあります。
規定では旗の形は縦が横の3分の2の長方形。日章の直径は、縦の5分の3で中心は旗の中心。色は、地は白色、日章は紅色とされています。

聖徳太子が遣隋使に託した文書に、自国を「日出ずる国」とした記述がありました。日の丸は日の出の太陽を象徴しています。また、国名の「日本」「日ノ本」からも太陽(日の出)を意識し「日が昇る」という自然現象を大切にしていたことがうかがえます。
紅白は日本の伝統色で「めでたいもの」とされており、「赤」は博愛と活力、「白」は神聖と純潔を意味するとも言われています。ちなみに「あか(赤)」の語源は「あかし(明し・あかるい)」と同じ意です。

世界の歴史でも太陽が赤で描かれることは珍しく、太陽は黄色または金色、それに対して月は白色または銀色で現すのが一般的です。日本でも古代から赤い真円で太陽を表していたというわけでありません。様々な表現が原型となって、白地赤丸の日章旗が生まれたようです。

一説には、源平合戦で、「赤字金丸」の旗を使用していた平氏が滅亡し、「白地赤丸」の源氏によって武家政権ができると、代々の将軍は源氏の末裔を名乗り、「白地赤丸」の「日の丸」が天下統一を成し遂げた者の象徴として受け継がれていったとも言われています。

明治3年(1870)1月27日制定の太政官布告第57号「郵船商船規則(商船規則)」に基づき、日本船の目印として採用されました。規格は縦横比は7対10。日章は旗の中心から旗竿側に横の長さの100分の1ずれた位置とされ、以後、日章旗は国旗としても扱われるようになりましたが、法的な裏付けはありませんでした。

大東亜戦争終戦後、連合国軍総司令部の指令により日章旗の掲揚が原則禁止されました。この間、商船旗としては国際信号旗のE旗に基づいた旗で代用。祝日に限定した特例としての日章旗掲揚許可を経て、昭和24年(1949)より日章旗の自由掲揚が認められました

1990年代末から学校の式典等における日章旗掲揚にかかわる問題が頻発し、掲揚に反発する教職員とのトラブルから高校校長に自殺者が出るまでに発展しました。これを機会に平成11年(1999)国旗国歌法が公布され、正式に国旗として定められたのです。

大多数の日本人は国旗国歌法の制定前から日章旗を国旗として受け入れていました。日章旗は、沖縄県では昭和20年(1945)から昭和47年(1972)までのアメリカ軍統治時代には、日本帰属を求める象徴でしたが、日本復帰後には一転して大東亜戦争中の悲劇を象徴するものとして憎悪する傾向が現れたのも事実です。

この日、国旗掲揚して制定記念を祝います。国旗は原則として日の出から日没まで掲揚します。屋外で国旗のみを掲揚する場合は、門の内側から見て右側、門の外側から見て左側に掲揚します。国旗は常に旗竿の最上部に接して掲揚されなければなりません。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

反日感情が強い中国や韓国では日章旗を燃やすシーンが報道されました。気持ちのいい人はいないでしょう。
貿易摩擦が起こると相手国の国旗を燃やしたり踏みつけるシーンが報道で流されます。それが他国の国旗だとしても見ていて気持ちのいいものではありません。
「以和爲貴(和をもって尊しとなす)」。聖徳太子の「十七条憲法」の第1条です。相手を慮ることが共存の基本です。

外出の際、帰宅したらうがいに手洗い、外出にはマスクです。時節柄読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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