2024.01.21
1月

令和6年(2024)1月25日「法然上人忌」(法然上人の御祥当忌日)です。

■1月25日「法然上人忌」(法然上人の御祥当忌日)です。■

「法然上人(ほうねんしょうにん)」は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶で、浄土宗の開祖円光大師ともいいます。

長承2年(1133)美作の国(岡山県)で誕生、叔父の観覚のもとへ身を寄せ、比叡山へのぼることになります。比叡山でも奥深い黒谷青竜寺に住する叡空(えいくう)の門をたたいて「一切経」を学びました。叡空から18歳にして法然房という房号をもらいます。(正式名称は法然房源空

承安5年(1175)43歳の法然上人は浄土宗を開き、上人の禅房には民衆が連日群れをなしました。そのため比叡山、京都、奈良の各宗派から、法然上人を問いただそうと「大原問答」が行われました。一昼夜に及ぶ論戦は、54歳の法然上人に軍配が上がり「智慧第一」「本願念仏の教え」は、より広がっていくことになります。

宮中では関白九条兼実、貴族関係者。源氏・平氏を問わず武士達。諸宗のお坊さんや、弟子達はいうに及ばず、下は盗賊や遊女にいたるまで、身分の上下を越えて平等に教えを説くお坊さんは歴史上でも珍しいとされています。

九条兼実の「心得ないこともあるので、なにとぞ書物にして欲しい」との懇願にこたえ、65歳とき『選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう、せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)』(略して『選択集(せんちゃくしゅう、せんじゃくしゅう)』)を著しました。現在800年を経た今日に至るまで、浄土宗において聖典として伝えられ経典同様に読まれています。

75歳で無実の罪で四国へ流され、約5年ぶりに京都に戻り大谷の禅房(現在の総本山知恩院)で高齢と疲労が重なり病床につくようになりました。亡くなる2日前、弟子のひとりが形見に一筆下さいと懇願をしたところ『一枚起請文(いちまいきしょうもん)』を書き残しました。

建暦2年(1212)1月25日没(御歳80)。浄土宗では、その恩恵を偲んで「法然上人御祥当忌月法要(ごしょうとうきげつほうよう)」が営まれます。法然上人の法要を「御忌(ぎょき)」と呼び、報恩感謝の「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えます。

知恩院――法然上人御祥当忌月法要
6:50 晨朝法要(御影堂)
8:30 諸堂参拝(御廟・勢至堂周辺)
10:30 御祥当忌月法要(勢至堂)
10:50 日中法要(日中法要)
11:30 別時念仏会(御廟・拝殿)
14:00 念仏行脚(京都市内)

浄土宗総本山 知恩院
◇ 京都市東山区林下町400
◇JR「京都駅」・阪急「京都川原町駅」・京阪「三条駅」から市バス「知恩院前」徒歩5分
◇阪急「京都河原町駅」徒歩15分
◇京阪「祇園四条駅」徒歩10分
◇公式サイト:https://www.chion-in.or.jp

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

「御忌」は、もともと天皇や皇后、高僧などの年忌法要を指す語でしたが、江戸時代になると「御忌」といえば法然上人の忌日法要のことと一般に定着し、いまでは春の季語としても親しまれています。

御忌の鐘ひびくや谷の氷までーー蕪村
着だおれの京を見に出よ御忌詣ーー几董

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