■大宮、氷川神社「大湯祭(だいとうさい)」です。■
武蔵一宮「氷川神社(ひかわじんじゃ)」は、武蔵国各地にある氷川神社の総本社で、延喜式神名帳では名神大社に列し、聖武天皇の時代に「武蔵国一宮」に定められ、他の氷川神社と区別するため「大宮氷川神社(おおみやひかわじんじゃ)」と呼ばれます。
その門前町は「大いなる宮居(みやい)」が転じて「大宮」という地名で栄えました。ちなみに、埼玉県の「大宮市」という地名は、残念なことに平成13年(2001)に地図上から消滅しました。大宮市、浦和市、与野市の3市が合併して政令指定都市の「さいたま市」が発足したためです。
氷川神社はおおよそ二千有余年前、第5代孝昭天皇(紀元前475~前393*異説あり)の御代3年4月未の日の創立と伝わります。主祭神に「須佐之男命(すさのおのみこと)」「稲田姫命(いなだひめのみこと)」「大己貴命(おおなむちのみこと)」を祀ります。
第13代成務天皇〔※〕の時代、出雲の「兄多毛比命(えたもひのみこと)」が一族を連れてこの地に移住し、武蔵国造となり氷川神社を崇敬しました。この一帯は、出雲族が開拓した地で、武蔵国造は出雲国造と同族とされます。社名「氷川」も、出雲の「簸川、肥河」という川の名前に由来するという説があります。
明治以後、国都が武蔵国に設置された事から、四方拝〔※〕などの宮中祭祀の対象に加えられるなど、皇室からも重んじられました。
毎年12月10日、午前8時より「大湯祭(だいとうさい)」の神事が行われます。神前には、百味膳(ひゃくみぜん)という米、酒、百味膳、菱餅、海老、長芋、串付の大鮒を、通常より大きな尺三方で御祭神それぞれに計21台お供えします。海川山野の種々の神饌をすべて熟饌(調理した神饌)にして、本殿、摂末社あわせ100膳をお供えします。
大湯祭にあわせて行われる伝統の酉の市は、毎年12月10日に行われるため「十日市(とおかまち)」と呼ばれます、参道には飲食物の露店、境内には熊手などの縁起物を売る露店が出店し、全国稀に見る酉の市として知られます。氷川神社の縁起物の熊手の他、まねき猫・だるま・神棚、来る年の暦や運勢・吉凶が書かれている雑誌などを売る露店が多く並び、多くの人出で賑わいます。
※四方拝(しほうはい):宮中で行われる一年最初の儀式。天地四方の神祇(じんぎ)を拝して年災をはらい豊作を祈る儀式。戦前は「四方節」〔※〕と呼ばれていた。
◆拝する山陵:伊勢神宮、天神地祇、神武天皇陵・先帝三代(明治天皇の伏見桃山陵、大正天皇の多摩陵、昭和天皇の武蔵野陵)の各山陵、武蔵国一宮(氷川神社)・山城国一宮(賀茂別雷神社と賀茂御祖神社)・石清水八幡宮・熱田神宮・鹿島神宮・香取神宮
※四方節(しほうせつ):元日(がんじつ)のこと。年の最初の日、1月1日。年のはじめを祝う日として国民の祝日とされていた大東亜戦争以前の呼び方。もと祝日とされた4つの大きな節会(せちえ)の日。四方拝(1月1日)・紀元節(2月11日)・天長節(4月29日)・明治節(11月3日)の総称。四大節とも。
※成務天皇(せいむてんのう垂仁32年-成務60年(84-190)。在位:成務天皇元年1月5日-同60年6月11日。日本書紀での名は稚足彦天皇(わかたらしひこのすめらみこと)。日本で初めて行政区画を定めたとされている。実在説もあるが、通説では神話時代での天皇のひとりに挙げられる
武蔵一宮 氷川神社(大宮氷川神社)
◇埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407
◇東武線「北大宮駅」または「大宮公園駅」徒歩10分
◇公式サイト:https://musashiichinomiya-hikawa.or.jp
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
氷川神社の十日市など11月から12月にかけて酉の市が各地で立ちます。関東では熊手に小判や俵を飾り福を集める熊手です。
コロナ禍がひと段落したものの世界情勢が極めて混乱し、商売繁盛・景気回復の願いはなかなか叶えられません。来年こそは……と酉の市に出かけてください。何かが味方してくれます。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白