■12月1日「映画の日」です。■
「映画の日」は、明治29年(1896)12月1日に日本で初めて映画が一般公開されたことを記念し、昭和31年(1956)6月29日に当時の日本映画連合会(現・日本映画製作者連盟)総会で記念日として制定しました。
明治29年(1896)11月25日から29日にかけて、神戸の社交クラブ「神戸倶楽部(こうべくらぶ)」で、日本映画史上初めて映画が一般公開されました。11月25日では暦の上で日が良くないとして、12月1日を記念日としました。
昭和31年(1956)12月1日の「映画の日」、日本映画連合会第1回大会は、両国国際スタジアムで開催され映画界の他、祝辞の挨拶には鳩山一郎総理大臣や日本新聞協会、NHK会長、日本文藝家協会の丹羽文雄など著名人が列席しました。地方でもこの日、パレードやポスター展、映画館の入場料割引などの行事が盛大に行われました。
旧来は毎月第1水曜日を「映画の日」としていましたが、平成15年(2003)以降は全国的に毎月1日が「映画の日」となりました。なかでも12月1日は「映画の日」として記念日になっています。
神戸倶楽部で公開された映画は、箱の中の動く映像を覗き穴から見る方式のもので「キネトスコープ」と呼ばれるものでした。キネトスコープは、明治21年(1888)にアメリカのトーマス・エジソンが発案し、助手のウィリアム・K・L・ディクソンらが開発しました。
「キネトスコープ」に先駆けて、イギリス出身の写真家エドワード・マイブリッジが、明治11年(1878)疾走する馬の連続撮影を成功させました。ちなみに、マイブリッジに連続写真技術の開発を依頼したのは、スタンフォード大学を設立したリーランド・スタンフォードだそうです。
現在の映画のようにスクリーンに映像を映し出す「シネマトグラフ」を発明したのは、フランスのリュミエール兄弟(兄:オーギュスト・リュミエール、弟:ルイ・リュミエール)です。シネマトグラフは1台で撮影・映写・現像ができる画期的な装置でした。明治28年(1895)12月28日、パリのグラン・カフェでシネマトグラフによる初の有料上映会が開催されました。この日、映画が誕生したと言われ、リュミエール兄弟は「映画の父」と呼ばれています。
明治30年(1897)、大阪・難波の南地演舞場でシネマトグラフによる映画が上映され、これが日本初の映画興行となりました。このシネマトグラフの装置を日本に輸入したのは実業家・政治家の稲畑勝太郎(いなばたかつたろう)でした。稲畑は若いころ染色技術を学ぶためフランスに留学中、オーギュスト・リュミエールと交誼を結んだ縁で、シネマトグラフの輸入契約を結び、興行権を買い取ったのでした。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
令和元年(2019)から日本で年間最高興行収入を記録した映画は4年連続でアニメ作品でした。『天気の子』『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』『シン・エヴァンゲリオン劇場版』『ONE PIECE FILM RED』、どの映画も子どもから大人まで楽しめる作品になっています。
カレンダー上では師走12月です。ここ数日急激に冷え込みがきつく感じます。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白